一橋治済らにより国政の場から追い出される
寛政5年(1793)7月22日、定信は将軍・家斉の「将軍補佐と老中を解任する」との内意を伝えられます。定信はまさかそのような内容を伝達されるとは思っておらず、怒りを見せたとのこと。定信は将軍補佐の留任、少将への昇進、御用部屋への出入りを要求。家斉は少将(左近衛権少将)への昇進と御用部屋への出入りは認めました。こうして定信は将軍補佐と老中首座を辞する事になります。定信は天明7年(1787)6月に老中に就任し、その後、寛政の改革を推進してきましたが、約6年で頓挫することになります。
定信への反感は彼が辞職してからも消えずに残っていたようで、享和2年(1802)5月1日、前代未聞の出来事が起こります。
定信が退城しようとしたところ、幕臣に仕える足軽が定信の顔を指差した挙句「あいつを見ろ。世の中を悪くしたのはあいつであり、馬鹿な奴だ」と言い放ったのです。陰口くらいはあっても、老中首座を務めた人物に対し、足軽がそのような悪口を吐くなど確かに前代未聞のことでしょう。
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