病に倒れた妻の死すら知らされず
趙構は南宋の初代皇帝・高宗となり、臨安(現在の杭州)を臨時の首都としたが、金との熾烈な戦争は継続中で、北送された家族の安否は不明だった。高宗は、敵国で消息不明の妻を皇后に「遙冊」し、彼女が帰国する日まで皇后を立てぬことを誓う。
金人は高宗の家族を洗衣院(※)に入れた。正妻と2人の側室だけでなく、すでに50に手がとどく年齢になっていた生母の韋氏も、まだ4歳の幼女2人も、洗衣院に入れられ、屈辱の日々をしいられた。
※金軍の捕虜になった女性たちが収容されたとされる施設。小説風の歴史書『靖康稗史』(せいこうはいし。後世の偽書説あり)に記載されている。
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