作家・政治家として活躍した石原慎太郎は、どんな人物だったか。長男の石原伸晃さんは「ときに殴られることはあった。しかし世間が思っているほど、厳しい父親というわけではなかった」という――。
※本稿は、石原伸晃、石原良純、石原宏高、石原延啓『石原家の兄弟』(新潮社)の一部を再編集したものです。
父・石原慎太郎の素顔
石原慎太郎=『スパルタ教育』(昭和44年の著書。副題「強い子どもに育てる本」光文社)というイメージが定着しているせいか、「さぞかし厳しいお父さんだったでしょう」と言われる事が良くある。
確かに思い付きで行動したり、意に沿わない事は断固拒否したり、自分を貫き通す事は多々あったが、では、厳しかったか、と問われると全くそのような事は無かった。
私の祖父、石原潔の家は宇和島藩の服部家の分家で所謂没落士族であったが、明治生まれの祖母光子はその家系に誇りを抱いていたらしい。年長者を頂点としたヒエラルキーが厳然とした家長絶対主義者で、故にその祖母に育てられた父もその影響を受けていたのだろう。
自分の家庭は自分が守り、子供達を一人前に育てる、と言う使命感は誰よりも強かったように思う。
父の“聖域”をこっそり探検した
父の書斎は家の一番日当たりの良い一等地にあったが、特に出入り禁止という訳ではなく、父が不在の時には防音の為の重い厚い扉を開けて中を探検しに入った。机の上の分厚い広辞苑、船の形の文鎮、双眼鏡などをひとしきり眺めてから奥の書庫に入る。
暗い、中2階までびっしりと本が詰まったそこは紙の匂いと静けさに満たされていて聖域、と言う感じがした。小学校高学年位になると、父がそこから本を抜き出して勧めてくれるようになり、その一人前扱いが嬉しくて随分と背伸びをしたものだった。
書庫の前には白黒の外国人男性の写真が飾ってあり、誰かと問うと、一番好きな作家でヘミングウェイと言うんだ、と言い、『キリマンジャロの雪』を手渡してくれた。

