「大手じゃできないことをやりたい」

35歳でダイエーを退職すると、レストランの建築を進めるのと同時に、妻・ヒロ子さんと一緒に他店で2カ月間修行した。白銀さんは調理を、ヒロ子さんはホール業務を一から学んだ。次に、飲食業経験者を2人採用し、1984年6月に「レストランマーロウ 秋谷本店」をオープン。勢いのままに走り出したものの、「はじめは厳しかった」と苦笑する。

「レストランマーロウ 秋谷本店」
写真提供=マーロウ
「レストランマーロウ 秋谷本店」

というのも、その頃は逗子・葉山エリアから秋谷まで足を伸ばす観光客が少なく、思うように集客ができなかったのだ。売上は月に300万~400万円ほどで、秋冬になるとぱったり人が来なくなり、その半分ほどしか稼げなかった。

加えて、4人で店舗を運営していたために、まともな睡眠時間が取れなかった。毎日23時過ぎに店を閉めると、翌日分の仕込みが始まる。ミートソースやベシャメルソースを一から手作りしていると、窓越しに朝日が昇るのが見えたそうだ。