貧乏旅行と同レベル、お先は真っ暗だった

現代の感覚なら、そんなに費用がかかるなら日本人向けの店で食事したりして節約できるのでは? と考えるだろうが、当時はそうはいかない。当時の日本の衛生状態ではコレラや赤痢の感染リスクも高く、言葉も通じない中で未知の料理に挑戦するのは危険度が高すぎた。

当時の日本奥地を旅したイザベラ・バードはよく知られているが、バードは既に有名な旅行作家かつ資産家で、有能な通訳を雇い、十分な資金を持っての冒険だった。対して八雲は、無謀な貧乏旅行者の類いである。ゆえに安全を確保しようとすれば、ニューヨークなら数十セントの食事に何ドルも払わなければならなかったのだ。