徳川家康(とくがわ・いえやす)
1542~1616年。三河国(現・愛知県西部)に生まれる。幼少時は人質生活を送るなどの不遇も経験。豊臣秀吉死後の天下を巡る関ヶ原の合戦で石田三成をやぶり、1603年に江戸幕府を開く。1616年没。
心を奮い立たせる三カ条
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心を奮い立たせる三カ条

野村監督による選手への厳しい言葉の裏には、常に成長を促す意図がある。

人間は無視、称賛、非難という段階で試される。二流の選手はやっぱり無視される。ちょっと実績を残すとみんな褒める。中心選手、ベテラン選手になると、「こいつがやってくれなきゃチームはどうにもならない」となってどうしても風当たりが強くなる。非難されるようになって一人前だ。「褒めて育てる」なんて、選手を認めていない証拠だ。

「信は万物の基をなす」という言葉がある。信頼、信用はすべての礎ということだ。監督に問われるのは、この「信」の使い方だ。

今の選手はちょっと非難すると「監督に信用されていない」となってすぐ腐ってしまう。だから「見せかけの信頼」を選手に与えるのも、監督のテクニックの一つ。本当に信頼している場合は簡単だが、「見せかけの信頼」こそが難しい。今の選手は辛抱が足りない。その点、辛抱は私のまさに得意技だ。

野村監督自身、1980年の現役引退から89年のヤクルト監督就任までの9年間、評論家として、まさに「辛抱」を強いられる期間を過ごした。評論家としての名声は12分にすぎるものだったが、パリーグの三冠王、南海の優勝など、実績から考えれば「監督としての野村克也」が本来の姿であろう。

この期間が後の監督としての成功に大きくつながった。自分が選手時代にやってきたこと(南海での70年から77年までの選手兼任監督含む)を具体的に整理するチャンスとなった。27年間の現役生活でとことんまで考え抜いた野球の理論や戦術を、人に伝える言葉として結実させるための9年間にすることができた。「野球とは」「守備とは」「打撃とは」とひたすら自問自答した。そしてとにかく本を読み漁った。「徳川家康」や「宮本武蔵」など、自分に吸収できるものはすべて吸収した。

そのおかげなのか「我以外皆師なり」「失敗と書いて成長と読む」「負けに不思議の負けなし」「覚悟に勝る決断なし」……という言葉がふいに頭に浮かんでくることがある。