「秀長は秀吉と父親が違う」という説

ただ、慶長2(1597)年3月1日付の北野天満宮釣灯籠銘には、「御歳丙申、御祈禱のためなり」と記されている。慶長2年が還暦の年にあたるとして、秀吉が無病息災の祈願で寄進したという説がある。

その年の60年前は天文5年。刻銘が本当に当人の記述なら、信憑性は高そうだ。しかし、実際の丙申は文禄5(1596)年であるため、やはり、生年についてもわからないのが現状だ。