秋篠宮家の立場が鮮明になった成年式
何か重要な出来事が起こると、それに関連して、これまで意識されなかったことがはっきりしてきたりする。
2025年9月6日の秋篠宮家の悠仁親王の成年式は、まさにそうだった。秋篠宮家が置かれた立場というものが、今まで以上に鮮明になってきたのではないだろうか。
何よりもまず、秋篠宮家のあり方というものを考える必要がある。平成時代に天皇であった現在の上皇には3人の子どもが生まれ、長男徳仁が今上天皇である。秋篠宮文仁親王が次男で、さらにその下には、結婚して皇室を離れた黒田清子氏がいる。
1993年、皇太子徳仁親王(現・天皇陛下)は小和田雅子氏と結婚し、その間には愛子内親王が生まれた。ただ、子どもはそれだけで、天皇家に親王は生まれなかった。このことが、皇室問題に重大な影響を与えることになる。なお、黒田家には子どもはいない。
“特例”の皇嗣である秋篠宮文仁親王
1990年、文仁親王(現・秋篠宮皇嗣殿下)は川嶋紀子氏と結婚し、その間には、眞子内親王(現・小室眞子氏)、佳子内親王、そして悠仁親王が生まれた。
皇位継承順位ということでは、秋篠宮が第1位で、悠仁親王が第2位である。他に、上皇の弟である常陸宮正仁親王がいて、順位としては第3位だが、すでに89歳とかなりの高齢である。
秋篠宮は、皇太子ではなく、「皇嗣」という立場にある。継承順位が第1位であるにもかかわらず、皇嗣となっているのは、「皇室典範」において、皇太子は「皇嗣たる皇子」となっていて、皇子とは天皇の子どもを指すからである。秋篠宮は今上天皇の弟で子どもではない。
ただし、上皇が生前退位を行うために定められた「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」では、第5条において、「この法律(特例法第2条)による皇位の継承に伴い皇嗣となった皇族に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太子の例によるものとする」とされている。第2条とは、「天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位するものとする」を指す。

