自動車大手のスズキが地元浜松市から受け取った43.5億円の補助金を巡る裁判が佳境を迎えた。ジャーナリストの小林一哉さんは「生前、鈴木修氏は『補助金はもらったことがない』と豪語していた。彼は自分の会社が補助金を受け取っていたことを本当に知らなかったのではないか」という――。

鈴木修も巻き込まれた「43億円裁判」

スズキ自動車(本社・浜松市)の相談役・鈴木修氏が昨年12月25日に94歳で亡くなってから、1年近く経つ。

お別れ会で展示された会長を辞めたときの鈴木修氏
お別れ会で展示された会長を辞めたときの鈴木修氏

軽自動車を武器にインドの自動車産業に打って出て、社長就任時に約3000億円だったスズキの売上高を10倍以上の約3兆円に伸ばすなど、その辣腕ぶりの評価は高まるばかりである。いまや、スズキの売上高は6兆円近くにも上っている。

その一方で、「浜松のドン」と呼ばれる政財界の実力者だった鈴木修氏の知られざる一面が静岡地裁で明らかになった。こちらもおカネの話である。

浜松市がスズキに交付した約43.5億円の補助金の返還を同市に求める住民訴訟が静岡地裁で5年前から争われており、9月9日にようやく結審した。

最終弁論となった意見陳述で、原告団代表の浜松市民2人がくしくも鈴木修氏のおカネにまつわる発言を取り上げた。2015年3月当時、会長兼社長だった鈴木修氏が新聞インタビューの中で「補助金政策っていうのは国民を堕落させる」「おれは補助金をもらったことがない」と発言したものだ。

「補助金政策は国民を堕落させる」、だから、「補助金をもらったことはない」。すなわち、「国民を堕落させる補助金はもらうべきではない」と言いたかったのか。けだし名言というべきだろう。

それなのに、約43.5億円の補助金返還を求められるという魔訶不思議な事件がどうして起きたのか。

鈴木修氏は「補助金受け取り」に激怒するはず

豪放磊落らいらくを絵に描いたような鈴木修氏だが、新聞記者の取材に風呂敷を広げることがあっても嘘などつく必要は何もなかった。となると、スズキの幹部が鈴木修氏に黙ってこっそりと補助金を申請したことになる。

もしそうならば、意に染まないことがあれば語気を荒らげたという鈴木修氏だけに、事実を知って激怒したに違いない。

スズキに補助金交付を決定した当時の浜松市長は、現在の鈴木康友・静岡県知事である。鈴木康友氏はすでに浜松市長を退いているが、地方自治法242条の規定で、浜松市長時代の責任から逃れられない。場合によっては、個人的に約43.5億円の賠償を迫られることもありうるのだ。

だから、原告側はさまざまな事情をいちばんよく知る鈴木知事の証人喚問を強く求めたが、結局認められなかった。

稀代の名経営者とされる鈴木修氏が浜松市の補助金交付に重要な役割を果たしたのかどうか、複雑怪奇な裁判の経緯を紹介することで事件の真相が見えてくる。