鈍行を乗り継ぎ、紀州・和歌山の町に辿り着いたのは深夜。翌日、島田さんが訪ねた本屋は、この町で育った巨大な作家の若き日を支えた店だった。本屋の役割は、本を売ることだけではない。

なぜ各駅停車に乗るのか

和歌山県新宮市の荒尾成文堂(『本屋図鑑』より。画・得地直美)。

奈良から、和歌山の新宮までは鈍行で6時間半かかった。5回も乗り換えた。夜の11時に、新宮駅に着いた。空腹で倒れそうだった。コンビニが見あたらなかったから、自動販売機でコーンポタージュを買った。

このときから、すでに、違和感があった。お尻が変なのである。歩くたびに、妙なのである。

ぼくは、空腹を満たす場所と、ホテルを探しながら、新宮の真っ暗な道を歩いた。市役所のすぐ近くに、居酒屋兼お好み焼き屋さんといった感じの店があった。 

店には、二人の先客がいて、ひとりの若者が眠っていて、もうひとりの若者はウーロンハイ片手にテレビを見ていた。カウンターのなかのおじさんもテレビを見ていた。ぼくは、おじさんにお好み焼き定食とコーラを注文して、あっという間に食べた。ぼくが店を出ようとするときに、若者が、眠っている若者の肩をゆすって、「そろそろ行こう」と話しかけていた。

夜、お尻が痛くて、まったく眠れなかった。まさかと思って、枕元においてあったiPhoneで、「お尻」「痛い」「眠れない」と検索すると、痔に関するブログがたくさん出てきた。

実際、この新宮にたどり着くまで、30以上の都道府県を鉄道でまわっていた(非電化路線も少なくなかったので電車でなく鉄道)。取材中は、平均すると、毎日6時間くらい、鉄道に乗っていた。慣れてしまったので、全然、苦にはならない。というよりも、飛行機や新幹線や特急の乗車料金が、たとえ鈍行と同じ値段だったとしても、ぼくは鈍行(正確に云えば急行や快速などにも乗るが)に乗りたい。町の本屋さんを取材するのだもの。そこに暮らす人たちの生活を、少しでもかいま見たい。彼らがどんな表情をしているのか。電車のなかで、なにをしているのか。本を読んでいるのか。携帯を見ているのか。寝ているのか。それを、知りたい。

それと、駅前に良さそうな本屋さんがあったら、そこで降りたい。