TOPIC-4 残された鉱脈

連載では、さまざまなテーマについて1か月ずつ論じていくというスタイルをとったことで、扱うことのできなかったテーマがありました。いくつかあるのですが、たとえば「リーダーシップ」がそれです。

書店の「ビジネス」の棚に行くと、この連載で扱ってきた他のテーマと並んで、あるいは他のテーマ以上の幅をとって、リーダーシップに関する書籍が居並んでいることは珍しくないと思います。その意味でリーダーシップ論はとりあげる意味があると思い、一旦検討はしてみたのですが、最終的には断念しました。

というのは、リーダーシップ論はただ自分自身を変えればよいという話には収まらず、経営論や組織論とも関連してくるためです。社会学を学ぶ私の立場からすれば、価値観や社会意識を読み解く、というところまでならある程度対応はできるのですが、経営や組織のあり方については素人批評以上のことはできないと考えて断念したのです。

ただ、リーダーシップ論において論じられる上司像、部下像、経営や組織のあり方、果ては社会観などからは、これまで扱った各連載テーマと同様に、私たちの社会のありようをよく見て取ることができるはずです。先に述べたように、このテーマは私の守備範囲を大きく超えるものなので、私は取り組まないつもりでいるのですが、どなたか造詣の深い方が取り組んでくださると嬉しいです。

「幸福」というテーマも面白いと思っています。拙著『自己啓発の時代』のなかで論じたことなのですが、かつて1950年代を中心におこった「人生論ブーム」のなかでよく読まれた書籍に、哲学者・三木清『人生論ノート』がありました。同書のなかに「幸福について」という節があるのですが、同書では「幸福」は以下のように言及されていました。

「幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である」(『人生論ノート』24p)

一読して簡単に消化することを許さない定義だといえます。これに対して、この連載で扱ってきた著作では「幸福」は以下のように言及されていました。

「ほんとうの幸福、すなわち、『心が安らいでいられること』」(小池龍之介『3.11後の世界の心の守り方』58p)

「『仕事があって、上司や同僚がいる自分の生活』を幸せと感じるようになりたければ、潜在意識の裏をかいて人生を『好循環で魅力的なもの』に感じることだ」(フォルカー・キッツら『仕事はどれも同じ』174p)

「28歳、これからあなたが手に入れたいものって、どんなものですか? 自分を生かせる仕事? 幸福な結婚? 周りから認められて、輝いている自分自身?」(高梨美雨『28歳から「あなたの居場所」が見つかる本』3p)

「人生いかに生きるかという命題の答えは、男性なら仕事やサクセス、生きる姿勢というかたちで表すこともできるだろうが、女性にとってはそれらに増して『幸福』という価値が大きい。そして女性がいま幸福かどうかは、女性の美しさにはっきり現れてしまう」(三浦天紗子『20歳を過ぎたら、ブスはあなたのせい』26p)

幸福は「心の安らぎ」や主観的な満足感といった程度のものに切り縮められている、そう思いませんか。『人生論ノート』の刊行は1941年、つまり戦中で、時間的な隔たりは非常に大きなものがあるわけですが、それにしても、「幸福」は何かしら平板なものになってしまったという印象がぬぐえません。

とはいえ、嘆いて終わっても何にもなりません。今後取り組んでみたら面白いのではないかと考えているのは、このような「幸福」観の変遷というテーマです。近年、OECDの「幸福度指標」、ブータン発の「国民総幸福」など、幸福に関する指標が開発・活用されているわけですが、こうした指標から私たちは現在幸福なのかということについて考えるだけでなく、そもそも私たちが今考える「幸福」はかつて考えられていた「幸福」と同じものなのか、いわば「幸福の文化史」のようなものが考えられてもよいのかもしれません。