日本で唯一、大晦日に除夜の鐘が聞けない自治体が岐阜県にある。その自治体には寺がひとつもないからだ。京都在住の僧侶兼ジャーナリストで『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』を上梓した鵜飼秀徳氏は「明治初期には17の寺院があったがすべて破壊された。いわゆる『廃仏毀釈』の影響だ」という。これまで報じられてこなかった「明治150周年」の暗部とは――。

除夜の鐘がまったく響き渡らない日本唯一の自治体とは?

平成最後の年の瀬を迎えている。私は京都・嵯峨野の小刹で暮らしているが、大晦日の夜はとくに風情がある。紅白歌合戦が終わってしばらく経つと、「ゴーン」という低い鐘の音が聞こえてくる。除夜の鐘だ。午前零時を超えれば、鐘の乱れ打ちになる。天龍寺や大覚寺など地域の名刹5、6カ寺から鐘の音が響いてくる。それは、夜も寝られないほどである。

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だが、除夜の鐘の音がまったく響き渡らない自治体が存在する。岐阜県の山あいにある、日本の自治体で唯一「寺のない村」、東白川村である。東白川村は明治初期、藩内寺院17カ寺すべてが打ち壊され、現在に至るまで、1カ寺たりとも復活していないのだ。

除夜の鐘が聞こえない地域は、東白川村だけではない。たとえば高知県、宮崎県、鹿児島県でも、寺の数は極端に少ない。高知県は367カ寺、宮崎県は345カ寺、鹿児島では488カ寺にとどまっている(全国47都道府県における寺院数の平均は1643カ寺)。なぜ、極端に寺の少ない地域が存在するのか。

それは明治維新時、大量の寺院が破壊され、多くが復興していないからである。いわゆる「廃仏毀釈」の影響だ。

明治維新が「仏教抹殺」をした理由

廃仏毀釈は1868(慶応4)年に新政府によって出された神仏分離令に端を発する。神仏分離令は王政復古、祭政一致に基づいて、それまで共存状態であった「寺院」と「神社」を明確に区別するための政策であり、新政府は廃仏毀釈を命じた訳ではなかった。しかし、それを拡大解釈し、寺院を破壊する者が現れたのだ。

寺院建造物だけが失われたのではない。廃仏毀釈は日本人の宗教観、習俗、文化をも大きく壊した。例えば、私の地元、京都では五山の送り火や地蔵盆、盆踊りなどの仏教行事が一時、禁止に追い込まれた。

7月1日から1カ月間にわたって行われる長い祭で日本三大祭として知られる八坂神社(京都市東山区)の祇園祭すら、形態を変えてしまった。もともと八坂神社は感神院祇園社という寺院と神社の両方の要素が混じった宗教施設であった。祇園祭は、もとは御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、むしろ仏教の要素のほうが強い祭であった。しかし、維新時の神仏分離政策によって、仏教色を完全に廃した神社として再スタートを切り、さまざまな仏事が神事へと転換を余儀なくされたのである。

祇園祭のような事例は全国の寺院・神社で見られる。何気なくお参りしている神社が、江戸時代までは寺であったということはよくあることなのである。

少し廃仏毀釈の歴史を振り返ろう。