なぜ三菱自の不祥事は繰り返されるのか

日産自動車と三菱自動車工業が幅広い戦略的アライアンスに関する覚書を交わして、日産が三菱自動車の発行済み株式34%を取得すると発表した。これによって日産は三菱重工業を抜いて筆頭株主となり、事実上、三菱自動車を傘下に収めることになった。軽自動車をつくっていない日産に三菱自動車が軽自動車をOEM(相手先ブランドで販売される製品を製造すること)供給するなど、両社はもともと協業関係にあった。それを実質的な身売りまで一気に加速させたのは、三菱自動車の燃費データ不正事件である。

資本業務提携を発表する日産のカルロス・ゴーン社長と三菱自の益子修会長(5月12日)。(写真=AFLO)

この事件は国土交通省に提出する燃費試験のデータを捏造して、実際より燃費性能がいいように見せかけていたというもの。当初は軽自動車4車種62万5000台と発表された不正車は、過去13年間に販売された27車種、200万台以上に拡大する見通しだ。不正発覚のきっかけは顧客からのリコールでもなく、内部告発でもなく、皮肉なことにアライアンス先の日産だった。日産の軽自動車デイズシリーズは三菱自動車のOEM(同社eKシリーズ)だが、次期モデルの開発を日産が担当することになっていた。日産が現行車の燃費を測定したところ、届け出数値との乖離が見つかり、指摘を受けた三菱自動車が社内調査した結果、燃費をよく見せる操作が意図的に行われていたことが発覚したのだ。カタログなどに謳っている燃費性能は実際よりも最大15%前後かさ上げされていたという。三菱に問題を指摘した日産も、よもや燃費不正事件に発展して自社のデイズシリーズの売り上げに響いてくるとは思ってもみなかっただろう。

2000年と04年に大規模なリコール隠しが発覚して、三菱自動車は倒産の危機に追い込まれた。提携先のダイムラー・ベンツはトラック・バス部門だけ切り離して傘下に収め乗用車部門は「不要」という決断をしていた。取り残された乗用車部門は重工・商事・銀行のバックアップでようやく危機を乗り越えたかに思われた矢先に、今度の燃費不正事件である。なぜ三菱自動車の不祥事は繰り返されるのか。その答えは単純ではなく、複合的な原因がある。それを一つの結論に帰結させるとすれば、やはりトップマネジメントの責任ということになるだろう。

三菱自動車の歴代トップは重工出身者がほとんどを占めているが、6代目の中村裕一氏は技術者出身の生え抜き社長で、氏の時代にリコール隠し問題が起きている。「俺のつくった車に文句があるか」というタイプのワンマン社長が、社内で上がってきた顧客からのクレームを封印して、「そんなことを気にせずに売れ」と号令をかけ続けたことが最大の問題だった。その後は再び重工や商事出身のトップが続いたが、14年に自工出身の技術者である相川哲郎氏が社長に就任する。「三菱グループの天皇」と呼ばれた相川賢太郎氏(三菱重工相談役)を父に持ち「生え抜きエース」と言われた相川社長だが、燃費不正事件の責任を取る形で辞任を発表した。