午前9時半頃の執行後、午後6時まで「隔離」
平松が、またつぶやく。
「あしたも、朝7時半ぐらいに呼び出しやな」
彼はもう、私服に着替え終わっていた。
平松の言葉を聞き流し、寺園は頭の中で、これまでの経験と照らし合わせて考える。
たぶん午前8時前に、執行に関わる者全員に集合がかかる。場所は西館2階、処遇部の会議室。20から30人が参加するミーティングだ。処遇部長の挨拶に始まり、続いて処遇首席が、タイムスケジュールや段取りについて説明する。刑の執行は、午前9時半頃だ。
〈執行後、その日の勤務は終了。死刑に関わった刑務官は、午前中で解放される〉
死刑を取り扱った書籍では、そんなふうに書かれていることが多い。ところが、名古屋拘置所では違う。確かに午前中で仕事は終了する。しかしその後、関わった者のすべてが市内の別の場所に集められ、午後6時過ぎまで、一緒の時間を過ごすことになる。
料理が出され、酒も振る舞われる。慰労会という名目もあるだろう。だが、本当の目的は、記者発表の前に情報が漏れないようにするための「隔離」ではないかと思う。
血だらけの惨事を避けるための留意点
通夜のような会であるが、場の空気を変えようと、冗談を口にする者もいる。けれども、会場の雰囲気は、終始、陰鬱としていた。一方でそこは、個々の気持ちを整理したり、執行チーム全体の結束を高めたりする場にもなる。
25年前、寺園が最初に死刑に立ち会った日の会では、こんな場面があった。一人の警備隊員が立ち上がり、まわりに対し、「きょうのは、ほんま可哀そやった。次はもっとうまく逝かせなあかん。なあ、みんな、そうしよう」と檄を飛ばす。すぐさま、それに呼応して異口同音、「そうだ」「そうだ」の声が上がった。そして最後のほうは、実演も含めての、反省会となる。
執行に初めて加わったあの日──。思い起こせば、あれは悲惨だった。首縄のかけ方がうまくなかったらしく、執行された死刑囚は、本当に苦しそうな最期となった。血が飛び散った床に、遺体を横たえさせると、首が取れそうになっていた。
ベテラン刑務官が口酸っぱく言う留意点だが、首縄をかける時は、結び目を首の左側に持っていき、縄と皮膚の間に隙間ができぬよう密着させて、それから軽く締め上げるのだ。そうしなければ、落下の際、首の肉が裂けたりして、大量の出血をともなう惨事となる。