エルサレムには3宗教の聖地が集中する

では、そもそもエルサレムは、なぜ3つの宗教の聖地なのでしょうか。ここにはユダヤ教徒の「嘆きの壁」と、キリスト教徒の「聖墳墓教会」、イスラム教徒の「岩のドーム」という聖地が集中しているからです。

ユダヤ教の聖書の中にユダヤ人の祖先であるとされるアブラハムが神から試される話があります。

敬虔なアブラハムの信仰心を試そうと、神は、息子のイサクを生贄として捧げるように求めます。アブラハムは命令に従い、丘の上に登り、イサクを岩に横たえて殺そうとした瞬間、神はアブラハムの忠誠心を確認して制止したというのです。

このときアブラハムは、岩の陰にいた羊を代わりに神に捧げました。そこから「犠牲の子羊」という言葉が生まれました。

その後、アブラハムが神の声を聞いたという岩を中心に、紀元前1000年頃、古代イスラエル国家を統一したダビデ王が神殿を建設しました。いったんはバビロニアによって神殿が破壊されますが、ユダヤ人たちは同じ場所に神殿を再建します。

一度追放され、戻ってきたユダヤ人の嘆き

その後、ユダヤ教の改革を進めていたイエスが神殿にやってきて布教を始めたために逮捕され、十字架にかけられて殺害されます。イエスの弟子たちは、イエスこそ救世主(キリスト)だと考え、墓があったとされる場所の上に聖墳墓教会を建設します。これがキリスト教徒にとっての聖地となります。

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その後、ユダヤ人たちはローマ帝国からの独立を求めて戦争となりますが、このユダヤ戦争に敗れ、ローマ帝国によって神殿は破壊され、ユダヤ人たちは追放されてしまいます。

やがてエルサレムに戻ってきたユダヤ人たちは、廃墟となった神殿のうち残された西の壁に対して祈りを捧げるようになりました。この西壁が「嘆きの壁」と呼ばれます。

ユダヤ人たちが、自らの過酷な歴史を嘆いて祈りを捧げるので「嘆きの壁」と呼ばれるようになったとか、朝になると夜露に濡れている壁が、まるでユダヤ人のために泣いているように見えるので、この名がついたなど壁の名前の由来には諸説あります。

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