イスラム教の「預言者」はムハンマド
イエスが処刑された後、使徒(弟子)たちはキリスト教を布教しながら、教えを集大成。『新約聖書』が編纂されます。「マタイによる福音書」や「ルカによる福音書」など4つの福音書を中心に構成されています。
キリスト教徒たちは、イエスが地上に遣わされたことにより、神との新しい契約を結んだと考えます。それが『新約聖書』。新約は新訳ではなく、「神との新しい契約」という意味です。それまでの聖書は、「神との古い契約」として『旧約聖書』と呼びました。
もちろんユダヤ教徒は、自らの信仰の対象を旧約などと呼ぶことはなく、あくまで『聖書』(律法の書)と呼んでいます。
また、いまから1400年ほど前、アラビア半島のメッカに住んでいた商人のムハンマドが、「神の言葉を聞いた」として神の言葉を人々に伝えます。ムハンマドは神の言葉を預かったとして「預言者」と呼ばれます。
ムハンマドは読み書きができなかったため、「神の言葉」を人々に口伝えで伝え、人々もそれを暗唱していました。
しかし、ムハンマドの死後、「神の言葉」を暗唱していた人たちが次第に姿を消すことから、神の言葉を残そうとして、信者たちが暗唱していた内容をまとめたものが『コーラン』です。
異教徒を攻撃するイスラム過激派の理屈
私の学生時代は『コーラン』と習いましたが、いまの高校の教科書には、なるべく現地の発音に近づけようと『クルアーン』と表記されています。この書名は「声に出して読むべきもの」という意味で、黙読ではなく声に出して読まなければならないのです。
ユダヤ教は土曜日を安息日、キリスト教は日曜日を安息日としていたので、イスラム教は金曜日を安息日としました。
『コーラン』によると、神(アッラー)は、ユダヤ教徒に『旧約聖書』を、キリスト教徒に『新約聖書』を与えたにもかかわらず、人々は教えを曲解したり、戒律を守らなかったりしているので、最後の預言者としてムハンマドを選び、神の言葉を伝えたとされています。ですので、ユダヤ教徒もキリスト教徒も同じ神の言葉を信じる「啓典の民」として扱わなければならないと書いてあります。
イスラム過激派がユダヤ教徒やキリスト教徒を攻撃したりしていますが、『コーラン』には、ユダヤ教徒もキリスト教徒も大切にしなければならないと記述されているのです。
イスラム過激派は、ユダヤ教徒やキリスト教徒が「神の教えを逸脱している」「イスラム教徒を攻撃してくるので、教えを守る聖戦(ジハード)を戦っているのだ」という理屈を立てているのです。