「海馬=すべての記憶を残している」ではない
まとめよう。
①海馬が損傷されると、新たに体験したことを長期記憶に保持することができない。
②過去11年くらいの出来事を思い出すことはできないが、それ以前の出来事は思い出せる。
ということは、比較的新しい記憶は忘れているが、昔の記憶は覚えているということだ。
海馬は切除されている。つまり、昔の記憶は海馬に存在するわけではない。
私たちが記憶と聞いてまずイメージするのは、過去あった出来事や思い出だろう。小学生だった頃、放課後に日が暮れるまで遊んだこと、夏休みの宿題や給食メニューなど。これは、エピソード記憶といわれる。エピソード記憶では、その時の情景(視覚)とともに、聴覚、触覚、嗅覚なども一緒に思い出されることが多い。もしかすると、当時の身体感覚も含まれるかもしれない。
ペンフィールドの実験で想起された記憶は、まさにこうした多感覚からなるものだった。エピソード記憶は数千といわれるように、総情報量は膨大である。これらすべてが海馬に貯蔵されるとは、通常は考えにくい。
つまり、それぞれのエピソード記憶にまつわる視覚、聴覚、感情などの情報が、それらを処理する脳の各エリアに別々に記憶されていると考えるほうが自然だ。そして、記憶された各々の情報が結びつくことで、ひとまとまりのエピソードとして想起されるのだろう。
モレゾンの記憶障害には後日談がある。2005年にあらためてモレゾンともう一人海馬を損傷した患者の記憶について調査がなされた。これにより意外にも、過去11年間とされていた記憶障害の期間が、実はすべての年代にまたがることが判明したのだ。
記憶には感覚がのっている
1995年、ハーバード大学のスティーヴン・コスリンは、ポジトロン断層撮影法(PET)を用いて興味深い実験を行った。参加者に絵を見せたあと、目を閉じて正確に思い出してもらった。
驚くことに、記憶を再生するとき、参加者の一次視覚野が活動したのだという。一次視覚野は網膜から入った情報を処理することで視知覚を作る。参加者は目を閉じていたため、網膜からの情報は皆無だった。にもかかわらず、イメージを思い浮かべると、一次視覚野は活性化したのだ(図表2)。
この実験によって、一次視覚野は視覚処理を担いつつ、脳内イメージの再生にも使われることが明らかとなった。これは非常に重要な知見だ。
面白いことに、イメージの大きさによって、活性化される一次視覚野の広さも異なることもわかっている。小さいイメージを思い浮かべれば、活性化する部分は狭く(視野の中心部分を処理する部位が活性化する)、大きいイメージを思い浮かべれば、活性化する部分も広くなる(視野の周辺部分を処理するところまで活動する)。
まさに、イメージを作ることは、外界を見ることの再現といえよう。古くから知られていたことだが、私たちがイメージを想起している最中、たとえば昔の情景を思い出しているときは、目の前の物は見えておらず、心の目に意識が向いているのである。