「被害者」「遺族」としてひとまとめに語ることはできない
「被害者の気持ち」「遺族の気持ち」に寄り添い、配慮を求める声は理解できるが、遺族という名の遺族はいない。気持ちや考えはその人の数だけあり、ひとまとめに語ることはできないというのが現場のリアルだ。
大きな原則に立ち返れば、ニュースを発信する報道の仕事は、第一義的に社会のなかで大きな関心を持たれている/持たれそうな情報を伝え、歴史に記録していく仕事ということになる。だからこそ、なぜ取材し、なぜ伝えるかを疑問に対して繰り返し答えることが必要なのだ。
社内でも繰り返し語り、説明が必要だと迫るだけでなく、メディア側が積極的に「なぜ」に答える。その都度「炎上」と向き合い、コミュニケーションを取らない限り、事態はいつまでも好転しないだろう。