拘置所職員の本音は、圧倒的に「死刑はしたくない」
死刑執行という人を殺す仕事をして心を病まない訳がない。死刑の執行に立ち会っただけで、実際に手を下していない幹部刑務官でも、夢やフラッシュバックで悩まされるという。退職後も夢を見るので、忘れられない。心療内科に通っているというという所長経験者もいる。
死刑執行とPTSDの研究が行われているわけでもなければ、死刑執行に当たった職員のケアも皆無と言っていい状況だ。精神科医や心療内科医、あるいは公認心理師などのカウンセリングを受けられる体制づくりも必要である。
死刑確定者の処遇をし、死刑執行の任にも就かなければならない死刑執行現場である拘置所職員の本音は、圧倒的に「死刑はしたくない」「死刑はない方がいい」である。
筆者も死刑は廃止すべきだと思う。以下に、筆者が考える死刑を廃止すべき論拠を列記する。
被害者遺族感情は、ほとんど満たされていない
死刑存続論の最重要根拠は、被害者遺族の感情であろう。ところが、被害者が1人の場合の殺人事件では、加害者は死刑にならない。大切な子どもを残虐な方法で殺されたとしても犯人は無期か有期の刑となる。
死刑が選択刑にある犯罪の犯人で死刑が言い渡されるのは、1%程度なのだ。つまり、99%の被害者遺族が極刑を求めても、悔しい結果になっているということだ。死刑は、現実には被害者遺族の感情を満たす存在になっていないのだ。
死刑確定囚は拘置所でのうのうと暮らしている
死刑確定者の処遇はどうだろう。拘置所で健康を維持するためのさまざまな優遇を受けている。諸権利は認められるが、勤労も納税も国民の義務は課されない。死刑確定者一人当たりに、食費、光熱水費、医療費など年間100万円前後の予算を投じている。
一方、刑務作業を課される拘禁刑にすれば、作業で得る対価は国の収入になる。制度を改め、被害者に対する損害賠償基金を設け、作業収入を基金に納入させることにするべきだ。基金から遺族への賠償金の支払いにも充てられる。
死刑になりたいと大量殺人を犯す事件はなくなる
死刑になりたいと、通り魔殺人や無差別大量殺人を犯す者がいるが、なぜ大量殺人なのか。それは、前述の通り被害者が一人では死刑が選択されていないからだ。被害者が二人でも死刑にならないことが多い。
死刑が廃止されれば、死刑願望の犯罪者はいなくなる。
死刑廃止を真剣に議論する好機だ
国勢調査などの死刑制度存廃アンケート結果は存置が80%になっている。それは極刑を求める被害者の遺族感情が主要な理由である。
しかし、前述の通り死刑判決は1%しか出ないのだから、遺族感情はほぼ無視されている状態と言っても過言ではない。死刑制度存廃の議論で主張されている存置理由は、現状に合わなくなっている。
一方、死刑廃止論の最も重大な主張が冤罪者の死刑執行である。まさに冤罪であった袴田事件の無罪が確定した今こそは、死刑廃止を真剣に議論する好機である。