- 【第1回】「袴田巌さんは、なぜ不死鳥でいられたのか」死刑確定直後に面会した刑務官が無罪を確信した瞬間
- 【第2回】「聴いてほしいと思っていました」袴田巌さんが元刑務官に語った静岡県警による戦慄の拷問内容
10月、袴田巌さんの無罪が確定した。その日、ノンフィクション作家の坂本敏夫氏のもとに、東京拘置所の元刑務官が『今だから話せることがある』と電話をしてきた。坂本さんが聞いた話は、刑務官たちが普段は絶対に口にしない、死刑囚を扱う拘置所職員の本音だった――。(3回目/全3回)
「今だから言えることがあります」
無罪判決が出た日に元刑務官のAさんから電話があった。
「袴田さん、よかったですね。もうこれで終わりにしてほしいと、切に願っています。検察はどうしますかね」
私もAさんと同じことを考えていた。
「検察が控訴するか心配になりますが、私も控訴をしないという東京高検検事長の潔い決断を期待しています」
Aさんも、同じ法務省の役人として、すぐ近くで見てきた「白でも黒にできる!」と豪語する検察の傲慢な闇を知っているのだろうと思い、会話を続けた。
Aさんとの交流は袴田さんの再審開始決定により、東京拘置所を出所した時に遡る。既に退職していたAさんは、袴田さんの釈放場面をテレビニュースで観て感極まったと、私に手紙を寄こしたのだ。
Aさんは、40年近い刑務官生活の大半を関東地方の刑務所、拘置所で被収容者を処遇する第一線の現場で主に処遇係長等、中間監督者として奉職した。部下からだけでなく被収容者からの信頼も厚い刑務官だった。
東京拘置所で勤務した10年余りは、袴田さんら死刑確定囚を含む数百人の被収容者を受け持っていた。舎房棟の複数のフロアを管轄するポストに就いていたのだ。
私は、無実の袴田さんの死刑執行をしたかもしれない現場にいたAさんに、死刑の執行に当たる刑務官の心情など中身の濃い話を聴きたいと思い、ジャーナリストとして対面の取材を申し込んだ。Aさんは、「私も今だから言えることもあり、会いたいです」と快く了承してくれた。以下は、Aさんから聞いた死刑執行の任務に当たる刑務官についての話である。