息子の身を守るものとしての「勉強」

私は、年に2度ある「小学生テスト」をちょっとした“腕試し”に位置付けることで、日々勉強することの意味を持たせたいと考えました。そして同時に、息子にこう伝えました。

「勉強は人と競争をするものではないよ」
「今の自分がどれくらいできるかを知るためにテストがあるんだよ」

私は誰かと比べられたり、人と競い合うのが苦手です。競争すべきは過去の自分だけ。昨日の自分、1時間前の自分、1分前の自分には「絶対に負けちゃいけない」と常に思っていて、そう息子にも話していました。

テストは他人との比較ですから、私としては本来は好きではないのですが、社会はどこまで行っても競争がつきまといますから、息子もそれに慣れていかなければなりません。

実は成績優秀者を目指すのには、もう1つ意味がありました。

それは「勉強で身を守る」ということ。小学校では、息子の発達障害に由来する変わった発言や行動が多かったせいで、周囲から残念ながら辛辣な対応をされることがありました。私の目の前でいじめられたことも、1度や2度ではありません。

飛び抜けたものがある子は一目置かれる

「小学生テスト」の公式サイトに息子の名前が載ったら――。これから中学受験を意識する家庭も増えていく中で、それ見たクラスメイトの親御さんは、「これって、あなたのクラスの赤平君?」と聞くはず。そうなれば、「赤平はちょっと変わっているけど、頭のいいヤツ」こんなポジションを確立できれば、いじめられないはずです。

「野球ですごい球を投げる」「サッカーチームのエース」「ピアノのコンクールで優勝した」「日本全国の鉄道を全部知っている」……等々、何か1つ、飛び抜けたものがある子どもは、何となく周りから一目置かれます。運動もピアノも苦手な息子ができそうな身近なことが、勉強でした。

いじめられて息子が二次障害にならないために、勉強が身を守る“防具”になるかもしれないと思っていたのです。

「小学生テスト」は6年間受け続け、結局一度も名前が掲載されることはなかったのですが、その結果から見えたことが、後々、麻布を受験するギリギリで役に立つことになります。