今でも忘れられない「34年前のトラウマ」

――追随するだけが同盟ではない。非常に重い言葉に聞こえます。かつて、湾岸戦争(1990年)で日本は米国が主導する多国籍軍に90億ドル(当時、1ドルおよそ144円。約1300億円)もの支援をしながら、終戦後、クウェート政府が謝意を表した国々の中に日本は巨額の支援金を出しながら、入っていなかった。日本は同盟国ではないという西側の国々もいました。

湾岸戦争は、外務官僚に大きなトラウマを残したと言えます。少なくとも私にとっては、湾岸戦争は非常に大きなトラウマを生んだ体験でした。

杉山晋輔『日本外交の常識』(信山社)

今もって語り継がれていますが、あの戦争でわれわれ日本は西側同盟諸国に加わり、同盟国では圧倒的に多い90億ドルを拠出しました。しかし、当事者であるクウェートはもちろん、同盟国から感謝の言葉は一言もなかった。それはなぜか? 再三の要請にもかかわらず、派兵をしなかったからです。派兵しようにも、派兵できる法整備がなされていなかった。これがきっかけとなり、国際社会での日本の貢献のあり方が大きく変わることとなります。

再三にわたる派兵要請、これはかなりの圧力でした。私は今でもその際に、「お前は敵なのか? 味方なのか? はっきりしろ」と詰め寄られたことをはっきりと今でも覚えています。私だけではなく、当事者として交渉に当たっていた外務官僚すべてが同じ体験、しかも非常に苦い体験を覚えているはずです。

撮影=遠藤素子
新著では「自分のトラウマ」と表現する湾岸戦争について述懐している

本の最後に「サッチャーの言葉」を載せた理由

――日本外交の常識』の最後は英国の首相、“鉄の女”とも言われたマーガレット・サッチャーの言葉で終わっています。その意味をお聞かせください。

サッチャーの残した言葉は次のようなものです。

何世紀にも及ぶ歴史と経験は、次のことを確たるものにしている。もし我々の国民の命を防衛しなければならなくなった時、もし私たちの原理原則(principles)を死守しなければならなくなった時、もし善(good)を断固として擁護しなければならなくなった時、もし悪(evil)を打ちのめさなければならなくなった時、そして更にもし正義(justice)を実現しなければならなくなった時、我々はこれらのために躊躇なく武器を取って断固立ち上がる。

アルゼンチンとフォークランド諸島の領有権をめぐって武力衝突が起きた時のサッチャーの演説です。

撮影=遠藤素子
各国の要人らと撮った写真。外交官という仕事は本当に刺激的だったと振り返る