歴史の年号を暗記しても必ず正しいとは限らない

ネット空間が普及したことで、誰でも、いつでも、簡単に莫大な情報にアクセスすることができる。一方で、そのアーカイブの量と比べれば、人間が覚えていられる知識には限界があるでしょう。

そもそも、私は“教養絶対主義”とでもいうような、知識がないということだけでその人を軽蔑してしまうような風潮が嫌いです。

歴史の年号を暗記して、周りが言うところの表面的な教養や知識を身に付けてみたところで、それが必ず正しいかと言われればそんなことはありません。

内田拓海『不登校クエスト』(飛鳥新社)

20年前まで、きっと日本中の学生誰もが覚えていたであろう“1192つくろう鎌倉幕府”が、現在では、「鎌倉幕府が成立したのは1185年」が一般的になっていますし、アメリカ大陸を発見した冒険家・コロンブスも少し前までは英雄視されていましたが、現代ではその評価は一変しています。

そうしたことは常に起きるのですから、教養も常識でさえも長い時間の中で変わる可能性があるものです。親から、教師から教えてもらったことだから絶対に間違いなく未来永劫正しい、ということはあり得ません。

間違っているかもしれない知識なのに、ただ「知っている」か「知らない」かだけで、その人の能力や人格までは決めつけてしまうような風潮や価値観自体、間違いだと思っています。

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