「政策の何が悪いか」を問われてもわからない

実際、小中学校の社会科の教科書などを見ますと、政策や事業や制度について多少なりとも取り扱ってはいますが、それらは概ね「社会を支えている」「人々の社会生活に役立っている」という形になっています。

ゴミの処理も、選挙制度も、裁判員制度も、農林水産業対策も、各種の差別問題対策もそうです。

悪いのは、ルールを守らずゴミを出す一部の住民、投票に行かない/裁判員を拒否する市民、米(国産農産物)を食べない消費者や農業の後継者になろうとしない若者、差別をする一人一人の市民であると言わんばかり。

「政府は決して間違っていない」という姿勢です。

これが変であることは、多くの人が薄々感じているところではあると思いますが、では政府の政策のどこが具体的に問題なのかと問われると、多くの人がわからないままなのではないかと思われます。

この解決のために、筆者は制度批判学習論という考えをしばしば採用しています。

これは、制度が生まれた当時の議論を見直して現在の制度の課題や制度の本来あるべき姿について考える、もしくは諸外国では同じ問題に対してどのような対策や制度をとっているのか調べて、日本の事情にあった対策や制度を考えるというものです。

社会問題の考察にあたって社会科学者などが頻繁に採用する手法です。

また、憲法の考えに照らし合わせて問題点を浮き彫りにするという手法も採用しています。

その代表例として、最近話題である同性婚の法制化をテーマにこれを実践してみましょう。

「憲法に照らして何が問題か」を考えてみる

同性婚をめぐっては、地方裁判所や高等裁判所で同性婚を認めない現在の法制度は憲法に違反しているのではないかという裁判が行われています。

写真=iStock.com/Orbon Alija
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現在は、大阪地裁以外の全ての裁判で、同性カップルが異性カップルと比べてかなりの不利益を被る現状は何らかの形で憲法(特に性や人種などの差別を禁じる憲法14条)に違反している状態にあることが指摘されました。

実際、同性カップルはパートナーの遺産相続、生命保険金の受け取り、配偶者控除などの税金の優遇措置などが認められてきませんでしたから、こうした裁判所の指摘は妥当でしょう。

世論も何らかの形で同性婚またはその代替制度(パートナーシップ制度)の法制化をすべきだと考える人の数の方が、これらに反対する人より圧倒的に多く、しかも若者ほど法制化に前向きなようです。

しかし、地方自治体はともかく、日本政府は同性婚またはその代替制度の法制化について、現在のところあまり積極的ではありません。最高裁が判決を出すまで様子を見るようですね。