最終的にミキが選んだ道は…

そして、最もつらいと思われるのは、被害者バッシングです。必ずと言っていいほど「被害者にも落ち度があるだろう」「金目当てに違いない」などの二次被害が生じます。

ミキの場合であれば、「戦争被害に遭った人は他にたくさんいる」「生きているだけマシではないか」などという心ない声が寄せられたかもしれません。

SNSが発達した現代では、原爆裁判の時代とは比べものにならないほどの質量で被害者は二次被害を負わされてしまうのです。(拙著『新おとめ六法』p44~p49参照)

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最終的に、ミキは証言に立つことをやめ、気持ちを書いた手紙を弁護士の轟が法廷で朗読する形をとりました。これは、「意見陳述」などと言われる手法です。一方的に自分の言い分を述べるもので、相手からの反対尋問にさらされないため証拠価値は少し下がりますが、それでも当事者本人の言葉には他を寄せつけない迫力があり、一定の効力があります。

裁判官の寅子は泣くべきではなかった?

手紙の朗読を聞いている間、裁判官の寅子は涙を浮かべていました。裁判長が判決理由を読み上げた際も、涙ぐんでいました。悲惨な事件の裁判では、検察官や裁判官が「思わず声を詰まらせ、泣いているようだった」などという報道がなされることがあります。このような場合に、「一方に肩入れした感情的な態度で公平な裁判がなされるはずがない」といった意見が必ず一定数出てきます。果たしてそうでしょうか。

私自身は、当事者の立場に立って、泣いたり怒ったりすること自体、特に問題ないと考えています。むしろ、そのような共感力・想像力がない人には法曹になってほしくありません。一度、当事者の立場に立ってその人の苦しみや怒りを共有したうえで、証拠をどう評価するのか、法的に何が可能なのか、冷静に判断するのがプロとしての仕事だと思います。

私は、裁判官研修の講師を務めることがあります。「裁判官は法廷で泣いたらいけないと指導されているのですか?」と尋ねたところ、そういうことはないとのことでした。