古くてもある程度までは持ちこたえられてしまう
注意しなければならないのは、古い価値観に支配された世界にいたとしても、ある時点までは持ちこたえられてしまうことです。なまじ持ちこたえてしまっているから、「ずっと、このままで大丈夫なんだ」という誤解が生まれます。
しかし、そのままで大丈夫なはずはなく、「変わらなければいけなかったんだ」と気づいたときには、もう手の施しようがないほど立ち遅れてしまうのです。
繰り返しますが、成功者であると自覚している人ほど危険です。自分の価値観に常に疑いの目を向けてください。今のままでいいとは思わないでください。
変わることを厭わない人でなければ、自分自身が潰れるだけでなく、子どもをも潰してしまいかねません。
AIの時代は「極める」を強いてはいけない
私は塾経営とサッカーをはじめとするスポーツ選手のマネジメントという二足のわらじを履いています。それによって掛け算の相乗効果が得られています。
そんな私のスタンスを、批判的に見ている人たちがいるのも事実です。彼らの目には、塾経営とスポーツ選手のマネジメントのどちらかに集中しない私は「てきとう」で、仕事をなめているふうにも映るようです。
もちろん、仕事をなめているつもりなど毛頭ありません。ただ、てきとうだと言われたらそうなのかもしれません。むしろ、これからの時代は、てきとうなくらいでいいのではないかと私は思っています。
AIが登場する以前は、一つのことを「極める」人が高く評価されました。実際に、中途採用市場などでも、ジェネラリストよりスペシャリストのほうが歓迎されました。
しかし、コツコツ足し算を重ね極めていくというやり方は、戦う相手が人間だった時代にこそ強みを発揮するのであって、AIが相手なら話はまったく別です。一つのことを極める能力は、AIにかないっこありません。
一方で、てきとうなところに広く網を張るのは、AIより人間のほうが得意なはずです。私たちは、AIの得意なことではなく不得意なことをやっていかねばならないのです。だから、部下や我が子に対し、間違っても「極める」を強いてはいけません。それよりも、広く多くのことに手を伸ばさせてあげてください。