日本や韓国の庭園に影響した西湖

世界的にもアジアでも世界遺産の登録最多数を争っている中国ですが、文化自然遺産ともにすばらしいラインナップです。

始皇帝陵、万里の長城など誰もが知っている場所のほか、杭州周辺で比較的最近登録された良渚りょうしょの考古学遺跡(紀元前3300~前2300年頃)は新石器時代後期の中国で稲作に基づく統一された信仰体系を持つ初期の地域国家を明らかにしたもので、付随している博物館も見ごたえがありました。

9世紀以来、詩人、学者、芸術家にインスピレーションを与えてきた杭州・西湖せいこの文化的景観を、早朝、湖上に張り出した茶庭で伝統的な朝食をいただきながら眺めるのも良いと思います。

西湖は、何世紀にもわたって中国のみならず、日本、韓国の庭園設計にも影響を与えており、人間と自然の理想的な融合を反映した一連の景色を創造するため、景観を改善するという文化的伝統の顕著な例です。

帝による天への生贄の祭壇

明の永楽えいらく帝の治世18年、1420年に紫禁城しきんじょうとともに完成された「天壇てんだん」は、現在では庭園として公開されている歴史的な松林に囲まれた荘厳な場所で、その全容、個々の建物の配置が、中国の宇宙論の中心にある天と地の関係、人間界と神界、そしてその仲介者「天子」である皇帝が果たす特別な役割を象徴しています。

龍内大街の東側、紫禁城の南に位置し、もともと「天地の祭壇」でしたが、嘉靖かせい帝の治世9年(1530年)に、天と地に別々の生贄いけにえを捧げることが決定されたため、特に天への生贄のため、本堂の南に円形の墳丘祭壇が建てられ、治世13年(1534年)に天壇と改名されました。現在の273ヘクタールの天壇は、清朝の乾隆けんりゅう帝と光緒こうしょ帝が建て、1749年に遡るものです。

天への生贄のために建てられた天壇(出典=『日本人が知らない世界遺産』朝日新書)

天壇は、南に天井の開いた円形の墳丘の祭壇、北に円錐屋根の天の丸天井があり、さらに北にある3層の円錐形の屋根をもつ豊作祈祷堂と聖なる道でつながっています。

明・清朝の皇帝たちは、ここで天に生贄を捧げ、五穀豊穣ごこくほうじょうを祈願しました。西側には生贄を捧げた後に断食に使われた殿堂があります。天壇周辺の世界遺産登録地域には、合計92の古代の建物と600の部屋があります。