入り組んだ感情は映画に詰め込んだ
重心をとらえる(2020.09.17)
映画『成功したオタク』をつくりはじめたときは、ただ怒りでいっぱいだったが、いろいろな人に会い、時が過ぎるにつれて、もっと深く複雑な感情がどんどん湧いてくる。最初の頃は、ただ面白がって、ムカついて、一緒に悪態をつきながら慰め合っていた。
ところがしばらくすると、だんだんあの人のことを思い出し、心を痛め、喪失感にさいなまれ、同時に罪悪感も抱くようになった。この入り組んだ感情を映画で見せなければならない。誰かを愛した人の心の境地は、「くたばれ」ではないはずだ、絶対に。でも、この映画が2次加害(性被害などを訴えた人をさらに傷つけるような言動のこと)にならないようにするためには、あの人に対する同情ではなく、好きだった人たちの心を描かなければならないと思う。これは、慎重に心がけるべき点だ。
わたしはあの人をもう愛していないし、拘置所に収容されている今の状況を哀れだとも感じない。ただ、死んでほしいとは思わない。だから、すごく複雑であいまいな気持ちだ。わたしの変化といろいろな人たちに出会う過程が自然につながる構成もいいけれど、一緒に前へ進んでいくというのもいいかもしれない。なぜなら、わたしは人々に会って話に耳を傾けることで自分の内なる声を聞き、自身を知ることができたから。
『成功したオタク』は、「登場人物に共感してほしい」とアピールするための作品ではないという点を肝に銘じなければならない。I先生がおっしゃったように、推し活やオタクの微妙な心をとらえて見せるのが重要なのだ。多くの人の偏見のなかのオタクやパスニ(アイドルに熱狂する若い女性を蔑んで呼ぶ言葉)ではなく、わたしが目にしたままの姿や、不思議な心を。
愛というにはあいまいで、応援というには執着に近く、信心というには宗教ともまた異なる何か。奇妙で奇怪な心。「奇妙」と書いたけど、批判したいわけではない。奇妙な心の実体を映し出す。なぜそんなことをするのか、聞いてみる。どうしてそこまでやるのか、と。これは、もしかすると自分に対する問いかけかもしれない。わたしはなぜそうしたのか。なぜそこまでやったのか。
推し活をつづけることができますか? という質問。もしかすると、その質問と対になるように「推し活をやめることができますか?」と聞くのもいいかもしれない。
0221(2021.02.21)
おめでとうとは言えないけれど、一生忘れない。忘れることなんてできない。あなたに関するすべての数字と慣れ親しんだ日付がずっと心から離れないだろう。懐かしいけど、恋しくはない。わたしが恋しいのはあなたじゃないから。わたしが恋しいのは、二度と体験できないあのときの気持ちだから。
お誕生日おめでとう。このありふれたひと言を贈れない相手が、他でもないあなたであることが、いまいましい。
死なないで、死なないで生きて、すべて返して。