きっかけは織田裕二

菊池健太さん(岩手県立盛岡北高校3年生)。

菊池健太(きくち・けんた)さんは岩手県立盛岡北高等学校3年生。菊池さんは将来何屋になりたいですか。

「おっきい夢なんですけど、国連で働くというのがひとつあって。アメリカ行った時に『人に笑われる夢を持て』って言われて。それは何なんだろうなって、こっち帰って来て考えてて。『TOMODACHI~』に行く前に、盛岡の被災者センターっていう場所でP&Gの方とお話する機会があったんですけど、そのときにも、何になりたいのかって訊かれて、『国際的なこと』ってそのときはしゃべったんですけど、『もう高3なんだろ、準備するなら今からだよ』みたいなこと言われてて。1回外交官になってから国連で働くというのがベストだなと、今、考えてます」

ニューヨークにある、あの国連ビルの中で働くということですか。

「目標は、大きく持てばあそこなんですけど、あそこに行くのはたぶん無理だと思うので、周りの近い組織で働ければと思ってますけど。まずいちばん近い目標は外交官になることなので、そこでどれくらいキャリアを積めるかみたいな」

きっかけは何ですか。

「映画です。織田裕二が外交官をやった。それ観て、ああいう仕事があるんだなって知ったんです。自分はただ外国に住みたいだけなんです(笑)。ただ好きなんです、昔から。いちばん行きたいのはヨーロッパで、オランダかスペインか、どっちかに行ければ」

織田裕二の映画とは、イタリアの観光地巡りサスペンス「アマルフィ 女神の報酬」(2009年公開)のこと。2011年の続編「アンダルシア 女神の報復」はスペインが舞台だ。菊池さん、海外体験は今回の合州国が初めてですか。

「初めてでした。ヨーロッパは踏んでないんですけど、大学入ったら行きたいなと思ってます」

「TOMODACHI~」のプログラムの中には、サンフランシスコの日本領事館の人と話をするものがあったと聞いています。

「会いました。初めて外交官という人に会いました。見た感じ20歳ちょっとすぎぐらいの女性の方です。熱く語るってかんじじゃなくて、ふつうに話す人。高校卒業して、すぐ公務員採用試験に受かって、こっちに来たって言ってました。そういう選択肢もあるんだなと思いました。それをもっと早く知ってれば、9月の公務員試験頑張ってました(笑)」

先回りして補足すれば、このあと菊池さんは「職歴」ではなく「国家公務員採用総合職(旧称「I種」)試験合格者で本省に採用された幹部候補者」の意味で「キャリア」ということばを使う。外交官の世界ならば、国際会議の中身そのものを担当するのがキャリアで、その後方支援(雑務全般。呼称は兵站=ロジスティックス担当の略称「ロジ担」)がノンキャリアの役目とされる。さて、菊池さん、外交官になるとして、何を手に入れる必要があると考えていますか。

「キャリアは、俗に言うと東大とか一流の大学出た人たちがなるんですけど、自分はセンターの練習とかでも(点数が)低いんで、今からは無理なんで……。とりあえず親には『ぜったい地元の大学行ってね』って言われてます。経済的にも、もう親が定年なんで。そうすると岩手大学の国際(注・人文社会科学部国際文化課程)があるんですけど、そこは留学とかもできるんで、そこで経験積んで、ノンキャリアという形で。そうなると最初は辺鄙なところに行くんですけど、そこで経験積むしかないかなと思っています。外交官の本とか立ち読みしてるんですけど、最初は発展途上国に飛ばされるみたいで、そこに2、3年いて、戻って来て、また飛ばされて、そうやってだんだん上がっていくらしいですね」

外交官にもいろんな仕事があると思うのですが、どういう仕事に興味がありますか。

(明日に続く)

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