【東出】若い頃は稼ぎとか出演作数とか、そんなラベルみたいなものを気にしていました。でも、人生に紆余曲折があって考えたんです。自分はどんな人生を送りたかったんだろうって。それから古代文明に生きた役者に思いを馳せました。シュメール人にもメソポタミア人にも絶対いたと思うんです、僕みたいな“人気者”が――はい、パスタができました。ロゼワインもどうぞ。

【服部】おお、旨い! この猪もいい肉だ。上手につくるもんだな。

撮影=宇佐美雅浩
猪肉と納豆のパスタ。取材陣が到着する前から、肉をさばいていた。

【東出】で、僕はその人たち、古代の人気者たちの人生を知らない。人気を博した役者が最期に人生に満足して死んでいったのか、後悔しながら逝ったのか。僕の存在も、1000年後の人たちは誰一人知らない。それなら、好きな人生を歩んで、死ぬ間際に「よかった」と思える人生にしたいんです。

【服部】俺も若いときは後世に自分の足跡を残したいと思って、山を登ったり、ものを書いたりした。でも本だって普通に消えていく。将来日本語を理解する人間がどれだけ残るかも、この文明社会が存続するかもわからない。そう考えたら俺は今この瞬間に意識ある存在として、感覚や感情を知覚できているだけで充分ラッキーだと思う。

【東出】シリアの内戦で爆撃にあって死んでしまった2歳の子がいました。あの子は自分がラッキーかどうかすら、考える余裕はなかったでしょう。

【服部】俺たちが殺している、猪や鹿も同じだね。

撮影=宇佐美雅浩
東出氏の自宅付近の畑で、植物の様子を見る二人。

死ぬときに人は何を考えるのか

【東出】忙殺されている日々は心を失います。心を失えば芝居も荒れる。日常の中にある感動とか喪失とか、心が動いた経験が芝居に生きると思うので、こういう生活をしていたら、いい役者になれそうな気もします。

【服部】こんな仕事ができたら「俺はもう死んでもいい」っていうのはある?

東出氏が製作中の五右衛門風呂。新しい小屋も建てているという。(撮影=宇佐美雅浩)

【東出】かつてローレンス・オリヴィエ(1907〜89)が、ブロードウェイで『マクベス』を演じていました。20世紀を代表する名優で実力は誰もが認めるところですが、ある日の舞台で彼は演技を超え“マクベスそのもの”になったそうです。役の人物になれたなら、もはや演技ですらない。観客には「真実」を見せているわけですから。そういう境地があるなら、いつか達してみたいです。服部さんは、「やってみたい」っていう登山はありますか?

手づくりのブランコで遊ぶ二人。大きな木から吊っているので、振り幅が大きい。(撮影=宇佐美雅浩)

【服部】あるとしたら、もうやっているかやろうとしているはずだね。登山の発想は“降ってきちゃう”ものなんだ。俺は大学時代に山登りを始めて、フリークライミングをやり、釣りや鉄砲を覚えた。だから「自分のスキルを組み合わせたら、こんな登山ができるはずだ」という発想が出てくる。出てきたら今度はそれを実行しないと、それまでの自分の人生を否定することになってしまう。だから「また面倒くさいこと思いついちゃったな」って感じながら、やらないわけにはいかない。

【東出】服部さんは14年前、南アルプスの聖沢で、滝の上から20メートル滑落したことがありましたね。死が迫る瞬間、何を考えていましたか?

【服部】実際には死ななかったから、死が迫っていたかどうかはわからないけど、あの瞬間、脳裏に浮かんだのは「ああ、俺の番だ」ってことだった。今まで探検家や登山家の死を、直接間接にいくらか見てきた。だから、受け入れるも拒むもない、ただ「俺の番が来たんだ」って思っただけ。