自分の「少しの不便」が他人の時間を生む

あるとき、知人のスウェーデン人に、自分で家を建てる人は多いか尋ねたところ、「普通とまではいえないけれど、時間があれば結構な人が挑戦しているよ。特に昔の人たちは、自分の手で家を建てることを夢にしていた人は多かったよ」と教えてくれました。また、実際に自分で自宅を建てた人と話したときは、「家づくりはとても大変だったけど、夢が叶って本当に嬉しかった」と、建築中の写真を見せながら、笑顔で語ってくれました。

日本では一般的に、自宅建設や大工作業は専門家に任せる人が多いかもしれません。確かに専門家に任せれば便利であり時間の節約ができます。これは効率性が重要視される現代社会では大事なことかもしれません。しかし一方で、自身の手で行った活動や経験、また、その過程における充実感や達成感は見逃されがちとなっています。

現代の便利な生活では、不便は悪いことのように見なされがちです。しかし、少し視点を変えてみると、その不便さからほかの人の時間を生むこともあります。

たとえば、スウェーデンでは、宅配物は基本的に自分で受け取りに行く必要があります。これは顧客にとっては煩わしいかもしれません。しかし、配達員の労働時間は短縮されるため、その人たちが家族や趣味に費やす時間は増え、その人たちの幸せにもつながっています。

こうしたスウェーデン人のDIYや自宅建築などの作業を通してみると、手間な作業からも、楽しみや達成感が生まれており、不便が一概に悪いとは言えないのかもしれません。また、あえて手間をかけることで、大切な自由な時間を見直す機会にもなり、新たな視点が開けることもあります。案外、不便のなかから幸せへのヒントが見つかるのかもしれません。

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礼節を重んじすぎると幸福に影響が出る

北欧諸国は、個人を尊重し、強要しない社会的特徴があります。特にスウェーデンでは、フラットな組織文化が根付いた横社会となっており、上司と部下の関係はとても緩やかです。そのため、上司と部下の間でも、自由に意見を述べることが通常となっています。

実際に、私の会社のミーティングでも、誰もが自由に意見を言い、上司に対してもほかの同僚と同じように率直に発言できます。また、発言したことで上司から、不快な対応を受けることはまずありません。

さらに、スウェーデン語には敬語というものがありません。そのため、年齢差にかかわらず気兼ねなく話せます。これは、同国の自由で寛容なコミュニケーションスタイルにも反映されています。

対照的に、文化的に儒教が根づく日本では、礼儀や礼節が重んじられています。これにより、日本社会は世界的に規律が正しい国として知られ、社会の規律と秩序を支えています。一方で、規律重視の文化は、人々の自由を制限するため、個人の幸福感の追求には影響が出ることもあります。