時間で区切ることはできない

2004年の新潟中越地震では、災害関連死が否かを判断するために「長岡基準」と呼ばれる認定基準が用いられました。長岡基準の特徴は時間で区切ることです。

震災後1週間で亡くなった場合は〈震災関連死であると推定〉。1カ月の死が〈震災関連死である可能性が高い〉。6カ月以上が経過すると〈震災関連死でないと推定〉とある。

認定の審査は、通常、市町村ごとに行われるのですが、3.11の被災地で長岡基準を用いた自治体は、実態と大きくかけ離れた判断がなされて、問題になりました。

長岡基準に当てはめたら、避難所に入居してから痩せていった漁師の男性も、6年後に自死してしまった女性も災害関連死と認められない可能性がありました。

能登半島地震も、災害の影響の長期化が懸念されますから、時間で区切るような審査はしていないはずです。

「炊き出し」や「義援金」では救えない命がある

――能登半島地震では、災害関連死の申請数が200人を越したと報じられました。

今後も申請数の増加に合わせて、災害関連死も増えていってしまうと考えられます。これから災害関連死を防ぐには、「物の支援」から「人へと支援」の転換を急がなければなりません。

発災直後は、一律に物資や食料を配給したり、医療支援を受けやすいよう、避難所を設置して、被災した人たちを集めた。しかし赤ちゃんや認知症を患った家族を持つ人は、ほかの避難者に迷惑になるのでは、と避難所に行きにくかった。

では、どうするのか。イタリアや台湾で導入したようなテント型の避難所の方が赤ちゃんや認知症の家族がいる被災者は過ごしやすいかもしれない。こうした個々のニーズに応える支援――とくに時間が経過してからは、人に対する支援へと転換する必要があります。

想像してみてください。仮に、平時で生活に困窮する人がいたとします。生活困窮者と一括りにしがちですが、そうした状況に陥った事情は人によって異なります。

コロナ禍や景気の悪化が原因で失業した。親の介護が理由で仕事を辞めざるをえなかった。疾患があり、働けない。何かの事情で借金を抱えてしまった。頼れる親族がいない……。

みんな抱える問題は個別で、かつ複合している場合もあります。抱える問題が異なれば、解決する方法も違います。

それは災害でも同じです。震災から時間が経過すると被災した人のリスクは多様化していきます。避難所のみで炊き出しを行って物資を配ったり、義援金を支給したりするような画一的な支援だけでは、根本的な解決につながらないケースが増えてきます。

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そこで有効なのが、被災した当事者ともに解決策を一緒に考える「災害ケースマネジメント」と呼ばれる取り組みです。

医師や弁護士、保健師、建築士などの専門家や行政の担当部署、NPOなどが連携し、被災者一人一人の悩みやニーズを個別に聞き取り、オーダーメイド型の適切な支援につなげて生活再建を後押しする取り組みです。

これこそが、人への支援といえるでしょう。物から人へ、と支援の発想を転換する。被災経験の少ない自治体も含め全国どこでも取り組めるようにすることが、これからの災害関連死を防ぐ第一歩になるはずです。

(インタビュー、構成=山川徹)
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