慶應関係者の間だけお祭り騒ぎ
1981年7月7日正午、大蔵省記者クラブでミッチーこと渡辺美智雄大蔵大臣(当時)が紙幣切り替え(1984年11月実施)を急遽、発表した。
「緊急会見というから何事かと駆けつけたら、新札の話だった。はしゃぐのはミッチーばかり。この時間では夕刊で大きく扱うこともできないし、こちらとしてはもうどうでもいいやという感じでした」
大蔵担当だった元記者は当時をこう振り返る。なんとも締まらない会見だった。
「新札で盛り上がるとしたら、かねてから噂のあった5万円札や10万円札の発行でしたがそれもなく、新たに福澤諭吉らが登場する程度では大したニュースにならない。案の定、世間の反応もイマイチでした。高額紙幣=聖徳太子のイメージが定着していたので、福澤では分不相応ではないかとの声も少なくなかった」
そうした巷の反応に逆行するように、慶應関係者たちの間ではミッチーによる発表があってからしばらくはお祭り騒ぎが続いた。「福澤先生の新札起用を祝うパーティーや飲み会が次々に開かれ、都内のあちこちで万歳三唱の声が響いた」と慶應同窓会の中核組織「連合三田会」の役員は話す。
次に紙幣切り替えが発表されたのは2002年8月(2004年11月実施)。5000円札の新渡戸稲造と1000円札の夏目漱石は“更迭”されたのに、なぜか1万円札の福澤諭吉だけは継続されることになった。決めたのは塩川正十郎財務大臣(当時)である。
「なぜ福澤は替えないのか、記者からも質問が出たのですが、塩川さんは『1万円札は大量に流通し馴染んでいるから』と要領を得ない答え。塩川さんも当時の首相の小泉純一郎さんも慶應出身。自分たちの人脈に配慮したのだろうと見られていました」(前出・元記者)
そして今回である。前述したように戦後すぐに渋沢栄一の名前は候補として挙がっていたので、福澤から切り替わっても何ら不思議はないのだが、やはり慶應関係者からは不満の声しか上がってこない。「日本経済にとってはマイナスにしかならない」と憤るのは前出の連合三田会役員だ。
「三田会には現在、40万人近くの会員がいて、国内外、有力企業に根を張っている。1万円札から福澤先生が消えることによる会員たちの喪失感を考えたら、その経済損失は計り知れない。一方、渋沢さんにどれだけのシンパがいるというのか。切り替えを決定した麻生太郎さんはあとで後悔することになると思いますよ」(同)
慶應OB・OGたちに新札を歓迎するムードはどこにもない。彼らの恨みはまだ当分続きそうだ。心機一転の新札に沸きそうな世の中だが、ひょっとすると諭吉から栄一へのスイッチが気に食わない三田会を含む層が新札での支払いを拒むことでキャッシュレス化に拍車なんてこともありうるかもしれない。