「福澤諭吉は無難な人」の位置づけ

諭吉教の熱狂的な信者たちは今回の紙幣切り替えに怒り心頭だった。「福澤先生の1万円札が永遠に続くような気になっていた」(前出・文系教授)という言葉が多くの塾員たちの思いを表している。昨夏、慶應義塾高校が107年ぶりに優勝した全国高校野球決勝ではチームへの応援とは別に「1万円札を変えるな」というシュプレヒコールが甲子園に巻き起こった。

福澤諭吉、明治24年頃の写真。日本銀行発行紙幣の原画となる。
福澤諭吉、明治24年頃の写真。日本銀行発行紙幣の原画となる。(写真=福沢研究センター/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

「福澤1万円札は40年も続いたのにまだ欲しがるとは、図々しいにもほどがある」と塾員たちを批判するのは早稲田大学の同窓組織「稲門会」を取りまとめる校友会の代議員。その言葉には羨望と嫉妬が入り交じっている。早稲田の創設者・大隈重信は過去に紙幣の肖像に起用されたことがないのだ。旧大蔵省OBによると、大隈が候補として俎上に載せられたことは一度もないという。「賛否の分かれそうな政治家は避ける」ことになっていて、首相経験者の大隈はリストから除外されてきた。「今後、評価が固まれば、大隈の起用もあるかもしれないが、その頃には紙幣というもの自体が流通しなくなっている可能性が高い」とこの旧大蔵省OBは予想する。

1946年5月、連合国最高司令部(GHQ)は日本政府に対し、紙幣や切手の図柄について通達を出している。「軍国主義や超国家主義の人物を禁じる」というものだ。そこで政府が紙幣の肖像候補として挙げたのは20人。戦前から起用されてる聖徳太子、貝原益軒、二宮尊徳、野口英世、夏目漱石、光明皇后、勝海舟らに加え、福澤諭吉と渋沢栄一の名前もこの時すでにリストアップされている。

「どこからも反対の声が出ない候補となると、おのずと似たようなリストになってくる。この頃も今も最後に残るのは無難な人」(旧大蔵省OB)

福澤諭吉も世間からすると、塾員たちが思う「特別な存在」というよりは「無難な人」だった。1万円札に初登場した時もそれほどの盛り上がりはなかった。