以前と同じ位置でもより安全に

では、いまの石垣の積み直しはどうか。令和4年(2022)5月から作業がはじまった飯田丸五階櫓の石垣の場合、最初に被災前の写真や石垣の図面を参照し、崩れた築石が積まれていた場所を探す石材照合が行われた。

その結果、大半の築石を元の場所に戻すことができたが、破損している石材もあった。割れていても接合可能なら、樹脂製の接着剤やステンレス製の棒で接合し、修復不可能なものは、もとの築石の正面の型をとり、あらたな石材をそれと同じ形状になるように加工した。

それらを積む際も、被災前や解体前の写真を確認し、1石ずつ勾配に留意しながら積み上げられた。築石と築石のあいだに小ぶりの間詰石を、背後には栗石(こぶし大、または人頭大の石)や介石(築石を裏から支える平たい石)を入れ、石積みを安定させながらの作業である。

ただし、被災前と同じように積むだけだと、ふくらみやズレなどの不安定な要素も復元しかねないので、熟練の職人が微調整を繰り返しながら、安定性を確保したという。

また、石垣が地震で崩落する原因のひとつが栗石の流動化だとわかったので、ステンレスと樹脂を接合した格子状のシートを栗石の内部に設置。先の熊本地震と同規模の地震に見舞われても、石垣が崩落しないように対策が施された。

明治7年(1874)に撮影された熊本城(写真=富重利平/長崎大学附属図書館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

すべてが復旧するのは2052年

こうした作業が各所で重ねられるのである。かつての天下人のように、1日に数万人を動員できれば、工期も短く済むだろうが、現代においては不可能だ。

熊本市が平成30年(2018)に策定した「熊本城復旧基本計画」では、復旧期間は20年で、令和20年(2038)に復旧が完了するはずだった。しかし、令和4年(2022)度に、それまでの達成状況や今後の課題などを検証した結果、計画期間は当初より15年延びて35年とされ、すべてが復旧するのは令和34年(2052)になると発表された。

計画15年目の令和14年(2032)度までに、宇土櫓と本丸御殿が復旧し、25年目の令和24年(2042)度までに、主要区域および重要文化財に指定されているすべての建造物が復旧する。その後、臨時で設置されている特別見学通路を撤去し、この通路の下部にある石垣の修復や、主要区域以外の工事を実施するという。

気の遠くなるような話ではある。しかし、稀有な文化財であり史跡である熊本城の価値を守るために、拙速な復旧は避けるという強い意志表示だともいえる。

目先の利益を優先して、文化財や自然を安易に破壊してきた日本。いまなお政治も世論も目先の都合ばかりを論じて、骨太な将来像を示せない日本。それに対して熊本城の地道な復旧計画は、子孫に継承すべき日本を、どういう視野をもってどうつくるべきか、という示唆にも富んでいる。