2016年の熊本地震による大きな被害を受けた熊本城は、いまでも復旧工事が続いている。歴史評論家で城郭に詳しい香原斗志さんは「すべてが復旧するのは2052年度、さらに往時の姿への復元整備が完了するのはさらにその先の予定だ」という――。
石垣の復旧工事が続く熊本城
写真=時事通信フォト
石垣の復旧工事が続く熊本城=2023年4月10日、熊本市(共同通信社ヘリから)

熊本城の修復工事が、ほかの城郭に与える影響

好むと好まざるにかかわらず、地震国ニッポンにおいては、城郭の石垣は揺れるたびに被害を受ける。城に石垣が多用されるようになった戦国末期から江戸時代末までは、常に全国のどこかの城で、石垣の修復工事が行われている状況で、明治時代に城が城としての機能を失ったのちも、各地で被害と修復は続いている。

元日の能登半島地震では、国指定史跡で日本100名城にも選ばれている七尾城(石川県七尾市)で、石垣の崩落や変形、地面の亀裂などが11カ所で確認された。

また、加賀前田100万石の拠点で、いうまでもなく国の史跡で日本100名城でもある金沢城(同金沢市)でも、石垣が崩れたり傾いたりする被害が28カ所で生じた。崩れた石を積み直す作業だけなら、3~5年ほどで終わりそうだが、ズレなどすべてを修正するためには、15年程度を要するという。

いずれも、復旧にはたいへんな手間と時間と費用がかかるわけだが、それをやり遂げるために、大いに参考になる事例がある。平成28年(2016)の熊本地震で被害を受けた熊本城である。

すべての建造物が被災した

2016年4月14日21時26分、熊本地方はマグニチュード6.5、最大震度7の地震に見舞われた。しかし、これは前震にすぎず、同16日1時25分、マグニチュード7.3、最大震度7の本震が発生した。

かつて茶臼山と呼ばれる丘陵だった熊本城一帯の地質は、火山噴出物の上に、阿蘇山から流れ出た火砕流が堆積したもので、全体に地盤が脆弱だった。そこに、震源の深さが10キロほどの激しい揺れがもたらされたから、被害は大きくなった。

国の重要文化財に指定されていた13棟の建造物はすべてが被災し、北東の石垣上に建っていた東十八間櫓と北十八間櫓は全壊。現在の本丸から800メートルほど離れた「古城」に加藤清正が築いた初代天守を移築したといわれる3重5階の宇土櫓は、破損しつつも倒壊は免れたが、それに続く多門櫓と二重櫓は倒壊した。

復元建造物の被害も大きかった。昭和35年(1960)に鉄筋コンクリート造で外観復元された大小天守のほか、史料を活用し、史実にもとづいて伝統工法で復元された20棟も、すべて被災してしまった。塀もほとんどすべてが倒壊した。

復元建築が多かったのは、震災に遭ったとき、熊本城はちょうど広域にわたる復元整備事業の真っ只中だったからである。