与えられた仕事はつまらないと決まっている

だいたい、〈仕事〉であろうとなんだろうと、人から与えられたものがつまらないのはあたりまえです。

いままで生きてきて、人から与えられたものでおもしろかったこと、ありますか? 小・中学校の宿題でも、高校の部活の朝練でも、あるいは大学の就活エントリーシートでも、会社のパワーポイントの説明資料作りにせよ。教師や上司から「与えられた」タスクは、つまらないもんだと相場は決まっている。

〈仕事〉だけではない。“自由”でさえそうですよ。

近藤康太郎『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』(CCCメディアハウス)

小学校のとき、午前中に20分くらいの中休みがあった。「自由時間」と称していました。男子はドッジボールや手打ち野球、女子はゴム跳びかなんかして、校庭で遊ぶんですね。

わたしはある時期から友達も嫌いになったし、教室で本を読んでいたんです。そしたら担任教師がやってきて「校庭でみんなと遊べ」と命じられた。それ、「自由時間」でもなんでもねえじゃねえか。

人に与えられたものは、自由でさえ、おもしろくない。自由は、自分でつかまないと、自由じゃない。

〈仕事〉だって、自分から、自発的に、「これやってみよう」と思ったものだけが、おもしろい。そこを勘違いしちゃいけないんです。

「自発」が内包した仕事こそおもしろい

自発こそ、おもしろさの内実です。だからこそ、ナチズムもファシズムもスターリニズムも、全体主義者は自発を嫌うんです。自発には、自由があるから。創造性があるから。いつなんどき、体制を覆すかもしれないから。

権力は、おもしろく生きている人間を恐れます。

じっさい、〈仕事〉は与えられるものじゃないです。つくるものです。作文の「作」じゃなくて、創造の「創」です。クリエイトする。

クリエイターとは、ミュージシャンや画家やデザイナーや小説家やライターだけではない。いまのサービス産業に就いている人の多くは、営業でも広報でも、経理や総務であってさえ、結局、クリエイターだと、わたしは思うんです。仕事によって、自分を表現する。表現者としての職業人。

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