ジェーリー・ビーンズさんの応援

赤沼涼香さん(宮古高校2年生)。

岩手県立宮古高校(文系クラス)2年生、赤沼涼香(あかぬま・すずか)さん。お父さんは高校の国語の先生。勤め先は宮古の北、山の中にある岩泉の高校だ。だが、JRの岩泉線が震災前の2010(平成22)年7月から土砂崩れで不通になったままなので「車で朝早く出て、夜遅く帰ってきてます」。赤沼さんは、放送部でアナウンサーを担当している。さて赤沼さん。何屋さんになりたいですか?

「幼稚園の先生か、アナウンサーかで迷っています。アナウンサーのほうは、最近復活した夢で、しかも周りにはまだ内緒なんですけど……。幼稚園のときの担任の先生が、優しいんですけど、けじめをつける、とてもいい先生だったので、その先生に憧れていて——もうずっと、小学校のときから幼稚園の先生になるのが夢なんです。『TOMODACHI~』でアメリカに行ったときに、日本で幼稚園の先生をしてたんだけど、アメリカに渡って、英語圏の子どもたちに日本の遊びを教えている先生のお話があって、そういうのも素敵だなと思っています。わたし、英語もすごい好きなので、どっちも生かせたら、その仕事は最高だなって憧れてます。その方、ごめんなさい、お名前覚えてないんです。ジェリー・ビーンズをくれた方なんですけど(笑)。その方、あんまりピアノが得意じゃないらしいんですよ。わたしもピアノ、今、弾けなくて困ってるんですけど、『ピアノが弾けなくても、それ以外のところでいいところがあれば、幼稚園の先生にはちゃんとなれるから、自分のいいところを見つけて伸ばせばいいんだよ』ってお聞きして、励みになって、印象に残ってます」

アナウンサーのほうのきっかけは。

「小学校のときくらいから憧れてたんですけど、一回諦めたんです。なんか現実味がないからって。でも、放送部の大会のアナウンス部門でラーメンの原稿を読んだときに、聞いた人から『そのラーメン食べたくなったよ』って言われて(笑)。そういう声を戴いたとき、そういうふうに、みんなが知らないことを伝えていくのも素敵なんだなって思って。あらためて、アナウンサー、なりたいなと思うようになりました。今のアナウンサーのお仕事って、英語がしゃべれるのがふつうだったりするので、そこでもやっぱり英語を生かせるので、どっちも迷うところです」

ここで同じ放送部の久坂さんがアシストに入った。

(明日に続く)

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