モディ首相の登場で経済政策が変わった

インドの成長は国内政治の影響も大きい。インド人民党を率いるナレンドラ・モディ首相が登場しなければ、今の経済成長はなかったからだ。

写真=時事通信フォト
インドのモディ首相。

かつての宗主国イギリスはインドに「民主主義」「証券取引所(資本主義)」「英語」の3つを残した。

グローバル経済の時代は、資本主義と英語が必須である。中国がこれらを引き継がなかったことを考えると、本来はインドが中国より先に経済成長するはずだ。にもかかわらずインドが中国に後れを取ったのは、イギリスが残した民主主義の悪い面が出て、衆愚政治がはびこっていたからだろう。

インド独立後に長らく国政を担った、国民会議派の中心的存在であるガンジー/ネルーの一族は超のつくお金持ちだ。ただ、国民会議派は選挙が近づくと自分たちのことは棚に上げ、富裕層を批判し、貧困層に富を再分配することを約束した。これが国民の大多数を占める貧困層にウケるのだ。

インドで合弁事業をやっていたとき、ハイデラバードがあるアンドラ・プラデシュ州の知事に呼ばれて、何度か面会したことがある。彼は資本主義者で、IT産業の育成で州を豊かにしようとしていた。私がマレーシアのマハティール首相のアドバイザーを務めていたころに「マルチメディア・スーパーコリダー計画」をまとめたことを知り、同じことをわが州でもやってくれと頼まれたのだ。

しかし一方で、彼は「次の選挙で自分は落ちる」と嘆いていた。国民会議派候補が州民にこう訴えていたからだ。「コンピューターで飯が食えますか。私はあなたがたに明日パンを持っていきます!」

貧困層にはこの訴えが効く。国民会議派は各地でこの主張を展開。広く支持を集めて、何度か下野を経験しつつも長らく国政を担っていた。

国民会議派は外資にも厳しい。インド市場で4割のシェアを持つスズキも、政府から嫌がらせを受けてストライキや工場閉鎖に追い込まれたことがあった。当時の鈴木修社長は粘り強く戦い抜いて市場に定着させることに成功したが、多くの外資系企業はインドへの参入を諦めた。私のいたマッキンゼーも資本比率を50%以上インド側に与えないといけない、ということで参入そのものをあきらめたくらいだ。

こうしたやり方でインド人は飯が食えるようになったのか。国民会議派は戦後約60年近く統治をしたが、00年代に入っても電気のない村が多く、道路は未舗装のまま。国民会議派の主張は、富の再配分だったが、実際には「貧困の再配分」をしていたのだ。

この悪政に引導を渡したのが、ヒンドゥー至上主義で党勢を拡大した、インド人民党のモディ首相である。14年に政権を握ると、パンよりコンピューターに未来があることを示し、すでに成長を始めていたIT産業の支援を開始した。

また、モディ首相は税収にならないブラックマネーをなくすため、16年にルピーの高額紙幣2種類を突然廃止した。普通なら大混乱を引き起こす政策である。しかし、インドはその前に、固有識別番号庁をつくり、生体認証付き国民ID制度「アドハー」の導入を進め、高額紙幣廃止の混乱も最小限に抑えた。実務家であるインフォシスの二代目CEOナンダン・ニレカニが全権を与えられ、陣頭指揮を執ったことで10本の指紋と虹彩を14億人から取るのに2年とかからなかった。インドには銀行のない村が多いが、生体認証付きのアドハーとスマホの普及で、すでに銀行の店舗に行かなくても困らない環境ができていたのである。

インド政府はその後も行政のデジタル化を推し進め、今や選挙は文字が読み書きできない人もタッチパネルで簡単に投票できる。モディ首相は最貧国を一気に21世紀国家に引き上げた功労者といっていい。