テナントが埋まらなくても高さを求めた
教育委員会も漆喰で塗りつぶすことを決めましたが、僕の同級生が会長を務める同窓会組織などが「これは時代を反映したアートなのだから隠す必要はない!」と反対運動を始めました。結局は反対派の主張が通って壁画はそのまま残されましたが、CNNやBBCでもずいぶん大きく報じられたものです。
それはともかく、のちにディエゴ・リベラはロックフェラー・センターで破壊された作品をメキシコで復元しました。ただし、元どおりではありません。そこには、自分の作品を破壊したジョン・ロックフェラーを醜く描いた肖像が加筆されていました。
話を建築に戻しましょう。大恐慌の時代ではあったものの、たとえすべてのテナントが埋まらなくても自らのパワーを誇示したい企業やデベロッパーによって、ニューヨークには次々と超高層ビルが建てられます。岩盤が強く、地震がほとんど起きないという点でも、ニューヨークはそれに向いていました。
建物の高さはそれを所有する者の力や権威のシンボルになるので、それをめぐる競争が始まります。1930年の時点では、1913年にニューヨーク最初の超高層ビルとして完成したゴシック様式の「ウールワース・ビルディング」(241.4メートル)が世界でいちばん高いビルでした。
世界一を争ったウォールタワーとクライスラー・ビル
それを越えるべく激しく争ったのが、1928年着工の「クライスラー・ビルディング」と、1929年着工の「バンク・オブ・マンハッタン・トラスト・ビル」(通称ウォールタワー。現在はドナルド・トランプが所有)です。お互いに相手の高さを横目で見ながら、設計変更をくり返しました。
クライスラー・ビルは当初246メートルの予定でしたが、ウォールタワーが260メートルだとわかると、282メートルに変更。ところがウォールタワーは、急遽それを1メートルだけ上回る283メートルに設計を変更し、1930年4月に完成しました。もちろん、この時点で「世界一」です。
因みにウォールタワーの設計者チームには、日本で生まれ、明治31年(1898)にアメリカに渡り、カリフォルニア大学を卒業し、ニューヨークに永住したヤスオ・マツイという日系人建築家がいました。ヤスイは高層建築を多数設計したF.H.Dewey & Companyの代表取締役にまで上り詰めました。
下田菊太郎と並び、彼も日本出身でアメリカで活躍した建築家の先駆者のひとりだったのです。彼の生い立ちを調べていくと、やはり第二次世界大戦時に、日系人として収容所に拘置され、また戦時中は24時間監視されていて、設計の仕事も皆無の状態だったという苦労話も見えてきました。