「奈良はイラン人によって作られた都です」

事実、サアディーがこの詩で言わんとしていることもそうだ。「われわれは、君たちのようにモノとカネにしがみつくケチくさい人間ではないのだよ。もっと高尚な人生の楽しみ方を知っているのだよ。フッフッフ」。

この点は重要なことで、実は多くのイラン人は心のどこかで、イランのほうが東アジア(日本・中国・韓国)よりも、精神的には優れていると今でも思っている。

もちろんそれは自然なことで、かつて「和魂洋才」を掲げた日本人もまったく同じ発想をもって西洋と渡り合ってきた。親日的なイラン人でさえ、イランの精神文化まで脱ぎ捨てて日本を溺愛するつもりなど毛頭ないわけだ。

だが、もし物質文化的にも日本を凌ぐだけのものがイランにあれば、どんなにいいことか。そうすれば、イラン人として、もっと優越感に浸ることができるのに──。イラン人たちがそんな夢想に駆られていたある日、国営テレビで、ひとつのトーク番組が放送された。

スタジオには、スカーフをかぶった怪しげな日本人女性。イラン人の司会者に促されるままに、彼女はイランと日本の歴史的な関係について、拙いペルシア語で風変わりな説を唱え始めた。

「日本の古都として知られる奈良は、イラン人によって造られた都です。イラン人が、高度な土木技術を、私たちに教えてくれたんです。日本の物質文化の多くはイランに起源をもっています。そればかりか、日本の天皇もイラン人だったんです」

それを聞くや司会者はカメラのほうを向き直り、満足げな表情でうなずく。私は耳を疑った。

親日感情の裏にある“独特のプライド”

シルクロードを通じて伝わったペルシア文化が、日本の古代史に無視できない影響を及ぼしていたことは事実だ。

だが、日本という国自体がイラン人によってつくられたかのような表現は、どう考えても誇張、あるいは歴史の歪曲であり、もはや売国的な迎合以外の何ものでもない。ところが、この番組の切り抜きはその後もSNSを通じて拡散され続け、イラン人の大喝采を浴びることになった。

若宮總『イランの地下世界』(角川新書)

何しろ、あれほど憧れてきた日本の、物質文化ばかりか国家としての礎を築いたのがイラン人だというのである。しかも、それを主張しているのは当の日本人なのだ。

もっとも、女性の珍説を信じようとしなかった人たちもいる。彼らはこの映像を、「日本を礼賛する風潮に歯止めをかけ、イラン人としての愛国心を涵養しようとする国営放送お決まりのプロパガンダ」として静観していた。

いずれにしても私はこの一件から、イラン人の親日もなかなか一筋縄ではいかないものであることを悟ったのである。日本を愛してはいるが、それと同時に、できることならばどこかで「イランの優位性」も確保しておきたい──。

これこそが、プライド高きイラン人の親日感情に隠された、偽らざる本音なのだ。

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