おそらく穎右がはじめての男だったのではないか
舞台の上では奔放な恋多き女といった印象のあるシズ子だが、これまでの実生活で男の影はなかった。松竹楽劇部時代に恋していたという名家出身のイケメンにも、自分からアクションを起こすことができず遠目に眺めるだけ。やがて男性は他の女性と恋仲になってしまい、それを知った彼女はしばらく不機嫌に荒んでいたという。
おそらく、穎右がはじめての男だったのでは?
彼女を知る友人・知人にはそう考える者が多い。ふだんは気軽に話しかけて人との距離をずんずんと詰めてくるが、恋がからむと腰が引けてしまう。恋愛下手の奥手は、生真面目で潔癖な性格も災いしていたか。
家族や自分を頼る者たちの生活を守らねばならない。その責任感に心を支配されて、色恋のことを考える余裕がなかったという事情もある。その「責任」が穎右との関係を先に進めないことの理由のひとつ。恋愛感情を押し止める防波堤の役割を担っていたようだ。
戦火が激しくなり、明日をも知れないときついに結ばれる
しかし、強固な防波堤もやがては決壊してしまう。昭和19年(1944)3月に「笠置シズ子とその楽団」は解散に追い込まれた。シズ子のマネージャーが彼女に無断で楽団を興行師に転売し、演奏者やスタッフを全員引き抜かれてしまったのである。
信頼していたマネージャーの裏切りはショックだが、大勢の人員を養う責任からは解放されて少し身軽になった。それが引き金になったのか、
「私たちが具體的(具体的)に相愛の仲になつたのは、名古屋で知り合つてから一年半後の昭和十九年の暮でした。サイパンが落ちて、今にも本土の上空に大編隊が飛萊するかとの恐怖の中で、それまで撓めに撓められていた私たちの情炎は火と燃えさかりました。」
姉弟の関係を越えてしまったときのことが自伝に綴られている。お互い我慢をかさねてきただけに、そこから先は関係が深まるのは早い。幸いだったのは、戦局の悪化である。米軍機の空襲に怯える世間には、もはや人気歌手と御曹司のスキャンダルに関心を示すような余裕はなかった。