宗教が持つ弱者に対する温かいまなざし
よく母親は、自分は食べないで子どもに美味しいものを譲ります。それは「偉大な母性愛」とみなされますが、母親は自分で食べるより、美味しそうに食べる子どもの姿を見る幸福感に浸っているのでしょう。
私も、孫や子どもが、トウモロコシやメロンを美味しい、美味しいと食べるのを見ると、自分だけで食べるより、ずっと幸せな気分になります。
子どもや家族だけではありません。困っている人を助けることも人を幸せにします。貧しい人に対する寄付は、仏教では「布施」、イスラムでも「喜捨」として信者に義務づけられています。
自分のために使わず、ほかの人に贈り物や寄付をする、社会的な活動にお金を使うと人間は幸せになるのです。
対象が同じ宗教の信者とか、出身校や出身地が同じとか、共通性があるほうが、より幸せを感じるのだと思います。
2013年のL・B・アキニンの調査によれば、136か国のデータを地域別に考察したところ、どの地域においても献金や寄付などの社会的支出をしているかどうかが、幸福感に大きな影響がありました。
ビル・ゲイツのように巨額なものでなくても、社会のためにお金を支出するという行為は寄付する人の自尊感情を高めてくれます。
キリスト教では「汝の隣人を愛せよ」といい、仏教では「利他の慈愛」を説きます。現代の心理学や経済学でも同じように、利他的な行動が幸せになると示しているのは、人類が生き延びるためには助け合いが不可欠で、その社会的DNAが深く刻まれている種族だけが生き延びてきたのです。
その精神が自分を幸せにするだけでなく、現実の世の中を明るくし、危機を生き延びさせてくれます。
自然を収奪し、破壊して成長し続けた現代文明は、気候変動やパンデミックを制御できなくなっています。私たちは自己の利益だけを追い求めることをやめ、利他主義に変わることが必要になっています。