父親が大国の国司になった成果としての結婚

では、なぜ宣孝が紫式部に求婚したか、である。関氏がいうように「精神性を加味した大人の女性を必要とした」という面もあるかもしれないが、それだけではなかろう。

倉本氏が記す。「ここまで婚期が遅れたのは、なにも紫式部の内省的な性格や結婚観や性的嗜好によるものではない。紫式部の適齢期に為時が無官であったためである。当時は男性が婿として妻の実家に入る結婚形態であったから、政治的にはもちろん、経済的にも後見の期待はできない為時の婿になろうなどという男は、現れるはずがないのであった。紫式部としても、装束や食事や牛車の用意もできない我が家に婿を迎える気にはなれなかったであろう」(『紫式部と藤原道長』)。

紫式部より20歳前後も年長で、すでに百戦錬磨の宣孝の場合、婿入りする家の政治的および経済的貢献をさほど必要としなかったかもしれない。とはいっても、父親が無官で困窮しているあいだは、その娘に求婚する気にはならなかっただろう。

10年にわたって無官のままだった為時が、越前の国司に任命された。しかも、当時は日本の国々は面積や人口、政治力、経済力などによって、大国、上国、中国、下国の4等級に分けられており、越前は大国だった。

大国の国司の娘になったこと。これこそが、紫式部がようやく結婚にたどり着けた最大の理由だろう。ここまで結婚できなかったのは、ひとえに父が長く無官だったからであり、道長への思いを断ち切れなかったからではない。

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