血まみれの母親

父親が老健に入所したタイミングで犬塚さんは、「何でもいいから母の世話をしながら働ける、家から近い職場はないか」と近所を探し、実家から歩いてでも通える小さな町工場でのアルバイトを始めた。

2019年11月末。18時頃、町工場から帰宅すると家に電気がついていない。不思議に思いながら玄関を開けると、突き当たりの浴室で、母親が頭から血を流して倒れていた。

母親は起き上がろうとしたが、犬塚さんは「起きちゃだめ!」と言って救急車を呼んだ。母親の頭の下には血溜まりができ、上半身は血だらけ。おそらく浴室で血を洗おうとしたのか、下半身は水に濡れていた。

搬送された病院は隣の市にある初めての病院だった。救急の医師から、

「レントゲンでは脳内出血は今の所ない。骨折は今はわからない。ベッドが今ひとつしか空いていない。入院させてあげるけど、明日には出て行ってもらうよ。救急待合室にいた患者家族にはこれから入院することを言わないでね。おたくのほうが重傷だから、そっちを帰すんだからね」

とぶっきらぼうに言われたが、10分ほどで「状況が変わった」と先ほどの救急の医師に呼ばれる。

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「やっぱり今日、(出血箇所を)縫い終わったら帰ってもらうから。もっと重傷の人が来ることになったから仕方ないでしょ。タクシーでも何でも使って自力で帰って」

そう冷たく言われた犬塚さんは、

「転倒したときに骨折しているかもしれないし、痛がってタクシーの乗り降りもできないかもしれないので、他の病院を探してもらえませんか?」

と言い、実家のある市内の救急対応している病院名を挙げた。すると医師は、

「A整形外科は脳を診れないから嫌がるかもよ。あ、でも建て直したばかりなんだよ。今、人を集めたいから入院できるかもしれないよ。事務に電話させるから」

と言う。犬塚さんはカチンと来て、「人を集めたいって。どうなんですか? その言い方って……」と軽蔑の表情を浮かべたが、すぐに事務の人が電話をしてくれたらしく、医師がたずねてくる。

「A整形外科はベッドの空きはあるが、『もし脳に出血が出てきた時、すぐ対応できないけどいいか?』と言っているけどどうする?」

犬塚さんはすかさず、

「家に帰った場合でも、脳に出血が出てきた時すぐに対応できませんよね? B病院はどうでしたか? あそこは脳神経外科と整形外科もありましたよね?」

と返す。

「B病院に電話はまだだが、優先順位つけるなら、B病院のほうがいいかもな。頭の安静を優先に考えたほうが……」

犬塚さんの毅然とした態度にうろたえたのか、医師の口調が明らかに最初より丁寧になっている。

「頭の安静を……って。タクシーで帰れと言ったのに、よくもまぁ言えますよね」

犬塚さんは唖然。

「なんかたらい回しみたいで悪いけど……」と言葉を濁す医師に、

「たらい回しというより、適当に帰してしまおうとしてましたよ」と犬塚さんはきっぱり。

そしてB病院のベッドに空きがあることがわかると、犬塚さんは看護師と事務員に丁寧にお礼を言い、救急車で移送してもらった。

「救急はどこも大変なんだろうと思います。でも結果として、『縫ったらタクシーで自力で帰宅』という話から、『実家のある市の病院まで救急車で移送→入院』となり、非常にありがたかったです。私の態度にもちろん問題はあったと思いますが、やはり時には家族の強気も必要だと思いました」

帰宅した犬塚さんが、母親が倒れていた場所の血溜まりを処理していると、血痕は庭から続いていることがわかる。どうやら母親は庭で転倒し、運悪く石に頭をぶつけたようだ。

母親はB病院に入院し、3週間ほどで無事退院できた。