淡谷は笠置の大げさなジェスチャーと歌い方を危惧していた
服部は笠置を手放しで擁護しているのだ。ここは淡谷の完敗である。服部が自分よりも笠置を可愛がっていたのは百も承知だったのか、淡谷は態度を変えず、批評はエスカレートする。
笠置の歌を「どうにも聞いていられないときがある」と言い、「それは彼女の不自然な発声法とオーヴァーすぎるゼステュアと、不必要にドナリたてる大きな声から受けるもの」であり、「歌を勉強したものにとっては、恐ろしささえ感じます」と、1950年5月21日付『朝日新聞』の芸能欄記事に書く。
自分は音楽学校でちゃんとした発声法を勉強したが、笠置はそうではない、だから心配だというのだ。「上京したころの彼女の歌い方には、一種の非常に好感のもてる特徴があり、そのまま伸びてゆけば実にいい歌手になれると思いました」(同)。戦前と戦後の笠置がどう違うのか不明だが、売れっ子になった今は好感が持てないと淡谷は言う。
淡谷は「笠置VS美空ひばり」の確執にもアドバイスしたか
結局、自分たち戦前派の歌手は、若い戦後派の歌手に道を譲れとも書いている。「最近多くの人たちから聞くこと」と念を押しているところをみると、この前年にデビューした美空ひばりと笠置との確執の噂を指しているのは間違いない。淡谷は最後にこう止めを刺す。
「はなやかな生活が出来る時は、だれでも大切にされますが、もし人気を失ったとき相手にされなくならないように心掛けて、素直な気もちをもってほしいと思います。いま人気のある彼女のためにも憎まれ口を一くさり」(同)
しかし、晩年まで交流があったという淡谷は、笠置がいかに娘を愛していたか、身近に接して知っていたのだろう。淡谷のり子と笠置シヅ子はおそらく互いの性格を知り尽くし、ともに戦前戦後を生き抜いた先輩・後輩歌手として盟友だったのかもしれない。