始めに脅迫状、その後、電話で脅してきたのはドラマと同じ
「オレ達の結社で金が要るから天神橋下に六万円置け。さもないと一人娘=ゑい子ちゃん(七才)を殺すぞ」
朝日新聞1954年4月9日
という脅迫状を、3月31日に受け取った笠置。その後、電話を含めて合計9回の脅しがあったという。実際に娘がさらわれたわけではなかったが、「殺すぞ」というメッセージは、母親にとっては身も凍るような言葉だったであろう。ましてや笠置は、こういうとき頼れる夫のいないシングルマザーである。
笠置は世田谷署の協力を求め、4月8日朝に犯人の電話をテープレコーダーに録音。最後に指定されたように「自由ケ丘駅表出口、公衆電話で金を渡す」約束をした。笠置宅の事務員男性(柴田正彦)が言われるままに左手にハンカチを巻いて立っていると、午後3時半頃、一人の男が近づき、中身が空の紙包を受け取ったことで、近くに張り込んでいた世田谷署員が飛び出して、逮捕。男は無職の横田武夫(30)といい、「六月結婚することになっていたのに失業、金に困って思いついた」と自供したという。
現在なら200万円相当の身代金を要求してきた無職の犯人
当時サラリーマンの1カ月の平均収入が約1万円だったというから、要求金額の6万円は約200万円相当か。金目当てにしては少額の印象もあるが、笠置にしてみれば、愛する人・エイスケを病で失い、女手一つで育ててきた愛娘まで奪われそうになったのだから、その恐怖は筆舌に尽くしがたいものだったはずだ。
にもかかわらず、この記事には、テープレコーダーで犯人の声を聞く笠置と事務員の様子、さらに約束通り現れた犯人に事務員がニセの札束を取り出そうとする様子まで写真を添えて掲載されている。緊迫した誘拐未遂事件だったはずなのに、現代人のわれわれが見ると、まるで映画の1シーンにも見えてしまう不思議な記事だ。
ちなみに、犯人とのやりとりにあたった事務員の男性の名前も「柴田正彦君」とフルネームで記されており、無防備な印象を与える。ただ、当時は誘拐事件における報道協定など、まだなかったのだ。