子どもが不満を感じることには価値がある

心理学の世界では、乳幼児を育てるときの母親の在り方として「ほど良い母親:Good enough mother」が重要とされています。この「ほど良い」とは、子どもに対して100%上手く反応できていなくても大丈夫、ほどほどで良いんだよ、という意味です。

乳幼児期の子どもは泣くことで色んな不快を訴えてきます。でも言葉をしゃべることができないので何が不快なのかわかりません。親は、こうした子どもの泣きに対して、「お腹すいたのかな?」「オムツが気持ち悪いのかな?」などアタリをつけて対応していくことになります。この予測が当たることもあれば、当然、外れてしまって余計泣いてしまうということもありますよね。

乳幼児期の子どもを育てる親に伝えたいのは、こういった「子どもの気持ちを推し量ろうとして、でも間違ってしまう」という体験は「あった方が良い」ということです(「あっても良い」のではなく「あった方が良い」ということが大切ですよ)。一生懸命、子どものためにやろうとしたけど子どもの思いとズレてしまうことは、絶対に無くすことはできないですし、そういう体験があった方が「子どものこころの成熟」にプラスになる面が大きいのです。

写真=iStock.com/kohei_hara
※写真はイメージです

親が子どもの要求にすべて完璧に応えられてしまうことがあってしまうと、子どもにはいつまでたっても「自分の欲求」と「環境が与えてくれること」の差によっておこる欲求不満に耐える力が身につきません。こうした差を適度に体験することが、「子どものこころの成熟」を促し、むしろ子どもの現実認識(現実を現実として適切に捉える力)を高めてくれます。

自信が万能感に変質する

こうした「自分の思い」と「環境が与えてくれること」の差は、言わば「子どもの思い通りにならない」という体験なわけですが、こうした体験を経験することの重要性も含めて「ほど良い母親:Good enough mother」であることが大切と言われているわけですね。

こうした「ほど良い母親:Good enough mother」概念や、叱られる、止められる、諫められるといった体験によって、子どもたちは「思い通りにならない」という体験を積んでいきます。この体験が無いと、外の世界に出るために必要だったはずの能動的な力の感覚が肥大化して、外の世界に対する「思い通りになるのは当然」という万能的な感覚へと変質してしまうリスクが生じます。

「外の世界に合わせて自分を調整する」という体験は、子どもにとって非常に不快なものです。それまでは泣くなどの行為を通して、親に「環境を変えてもらった」という経験が中心でしたが、環境を変えるということが難しい状況や、子どもが環境に合わせなくてはならない状況が増えるのですから、その不快は自然な反応と言えます。