現在放送中のドラマ「ジャンヌの裁き」に関しては、さらに極端である。最初私は、「ジャンヌの砦」というタイトルを提案した。検察審査会という市井の人々にとっての「最後の砦」という意味とジャンヌ・ダルクがイギリス軍を陥落したトゥレール砦にかけた。しかし、またもや編成は「『砦』だと何のドラマかわからない」と言い出し、事件モノだとわかるようにしてほしいと要望してきた。

改変を生み出す「ラブ」「サスペンス」「ヒューマン」の3要素

③の「ドラマ『3つの要素』」というのは、「ラブ」「サスペンス」「ヒューマン」である。これらの3つは、ドラマをヒットさせるために不可欠な要素と言われている。地上波ドラマは配信と違い、視聴者の年齢層が高い。そのため「共感性」を重要視する。そう考えると、上記の3つを高年齢層が好むのは理解できるだろう。

そして、そのどれかが欠けていると、「補え」と言われる。例えば、フジテレビのドラマ「ミステリと言う勿れ」では、原作にはない「ラブ」要素が足され、SNSなどではそのことに対する批判も見られた。

④の「企画成立の歪み」というのは、ドラマ企画の成立過程に見られる欠陥を指す。現在の地上波ドラマは、だいたい主役を決めてから進められる。自著『混沌時代の新・テレビ論』でも指摘しているように、いまのテレビには主役キャストを先に「ベタ置き」するという傾向があり、それはさらに強くなっている。

私がプロデューサーをやっているときにも、企画を立てる際に主役キャストを候補として挙げるのだが、「主役を張れる俳優」というのは限られていた。そうなるとキャストの争奪戦が始まり、当然、事務所の立場も強くなるというわけだ。

企画書を提案する際には、「概要」欄に書き込む主役キャストを「すでに押さえている」「打診レベル」「打診もしていなくて、単なるイメージに過ぎない」という3段階のどれなのかによって、信憑性も格段に異なるし、採択の可能性もまったく違ってくる。

「王道の展開」に変えられ、キャラクターが別人に…

そして、「主役を決めてから脚本などの制作が進められる」ことによって、男性主役の原作が女性に変わったり、その逆もあったりということが起こってくる。また、「主役を立てなければいけない」といった事務所との関係上で生まれてくる配慮や事務所からの(やんわりとした)要望、もしくはテレビ局側の勝手な「忖度そんたく」で、原作に改変が加えられてゆくことになる。

写真=iStock.com/Darwin Brandis
※写真はイメージです

例えば、「さんかく窓の外側は夜」では、原作のBL要素が抜かれてしまっていたり、「鹿男あをによし」では、主人公の同僚の男性が女性に変わっていたりした。さすがに、綾瀬はるか氏を男装させるわけにはいかないだろう。

以上のような実例を知れば、「原作モノ」のドラマにおいて原作に改変を加えることなく原作通りに映像化することがいかに困難であるかを理解してもらえるのではないだろうか。

今回、芦原氏がブログで「漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう」「個性の強い各キャラクター、特に朱里・小西・進吾は原作から大きくかけ離れた別人のようなキャラクターに変更される」「性被害未遂・アフターピル・男性の生きづらさ・小西と進吾の長い対話等、私が作品の核として大切に描いたシーンは、大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず」と述べているのはそういったことから来ているのである。