果たして心配したような問題は起きず、面会交流はスムーズに終わった。「息子に会えないことはない」との安心感を得たのか、夫は徐々に冷静さを取り戻したようだった。
支援者との出会い
その後、裁判所での取り決めで月1回の面会交流を行うことになったものの、とても2人で直接やり取りができる状態ではなかった。支援組織を探し始め、そのなかで面会交流時のTさんの同席や場所などの希望に対応してくれる団体に仲介をお願いすることにした。離婚後の共同養育に取り組む団体だった。
離婚後も双方の親が子どもの養育に関わるという「共同養育」。Tさんも夫も、初めて耳にした言葉だった。
支援がスタートしても、面会交流は当初、Tさんにとって大きな負担だった。夫が日程を直前に変えてきたり、突然自宅で息子に会いたいと言い出したり。それらの希望を受け入れるのか受け入れないのか、子どもにとっては何がいいのか毎回悩んだ。
面会交流の数日前からは自身の心もガードしなければならない。やっと終わったと思うとまたすぐ巡ってくる、の繰り返しで疲れ果てる日々。その心のモヤモヤ、イライラを支援団体の担当カウンセラーにぶつけ、じっくり話を聞いてもらった。気持ちを整理し、客観的な立場のカウンセラーを通して思いを伝え合うなかで、夫からは徐々にTさんへの配慮の言葉が聞かれるようになっていった。
「夫もちょっとずつ変わってくれているんだ、それなら私も変わらなきゃ、子どものために夫は将来絶対力になってくれるはずだから、って、少しずつ思うようになっていって」。Tさんの固く閉ざされた心も少しずつ解け始めていった。
夫からの思いがけない言葉
調停が始まってから約2年。次の大きなターニングポイントがやってきた。息子の親権はTさんが持つことや、養育費、面会交流の頻度など、離婚条件がほぼ固まった時期だった。
カウンセラーの勧めで夫と一緒に夫婦カウンセリングを受けることになった。家を出てから初めて夫と直接向き合う場。ちゅうちょしながら足を運んだTさんは、ずっと心の底に沈殿していた、夫の「死ねば」発言について、つらかった胸の内を夫にぶつけた。
すると、夫からは思いもかけず「ごめんね」との謝罪の言葉が返ってきた。
その一言を同じ空間のなかで直接聞けたことは大きかった。Tさん自身からも、胸につかえていた「子どもを連れ去ってごめんね」の一言が自然と出てきた。大きな雪解けの瞬間だった。
それからの展開は早かった。末期がんを患った義父に息子を会わせてあげたい、との夫の願いをTさんは受け入れ、3人で向かうことができた。
その後まもなく面会交流支援を卒業。今ではLINEやメールで夫と直接やり取りをし、面会交流の回数や時間も拡大。離婚は成立したが、クリスマスなどには元夫婦で息子を囲み、一緒にパーティーができるまでになった。
「この3年でここまで来るなんて、自分でもほんとに驚きです」とTさんは話す。